自由気ままなたび

こんにちは!日本事務主事の髙橋泉です。

わが家には「たび」という猫がいます。(旅の話ではありません)

この9月で6歳になりました。

名前の由来は、四本の足がまるで靴下や足袋を履いているような柄だったからです。

子猫の頃のたびがこちら。

この寝落ちしそうな姿、かわいいでしょ?→はい、親バカです(笑)。

猫って、本当に自由気ままです。

眠くなれば寝る。
お腹が空けば「ごはん」と鳴く。
構ってほしいときも鳴く。

抱っこされるのは嫌いなのに、私が歩けば、後ろからずっとついてきます。

別の部屋に行けば、またついてくる。
「そこまでついてこなくても……」と思うくらい、ついてきます。

そして、私が仕事をしていると、いつの間にか後ろに来て、丸くなって寝ています。
ときには小さないびきをかいています。

オンラインでミーティングをしているときに、突然乱入してくることもあります。

こちらが「今はダメ!」と思っていても、たびにはそんなことは関係ありません。

抱っこは嫌。
でも、そばにはいたい。

構ってほしい。
でも、自分から甘えに来たときだけ。

なんとも自由気ままです。

そんなたびを見ていると、なんだかいいなぁと思います。

時には困ることもありますが。

たびはいつもたびです。
(そりゃそうだw)

今日も全力で猫をしています。

2026 WIT 証 – Kota

こんにちは。シアトルでJxJ(Japanese times Jesus)のリーダーの一人として活動しているKota Garvinです。

僕はワシントン大学の大学2年生のときから、JxJで奉仕を始めました。アメリカの教会で育ったこともあり、日本の教会に行く機会はほとんどなかったので、JxJは、他の日本人クリスチャンたちと継続的につながることができた初めての場所でした。そこで日本語を使う機会も増え、日本人の友達もできました。

また、これまで関わってきた他のミニストリーとは違い、JxJでは、新しくイエス・キリストを信じる人が生まれることに直接つながる働きに関われることも、大きな励みになっていました。

今年、JxJのもう一人のリーダーであるDustinからWITに誘われたとき、最初は少し迷いました。どんなところなのかよく分からなかったし、友達ができるかどうかも分からなかったからです。でも祈っているうちに、参加してみようという思いが与えられ、申し込むことにしました。

初めてWITに着いたときは、日本の教会やECを通して、みんなすでに知り合いのように見えました。でも、少しずつみんなと話すようになり、最終的には全員と仲良くなることができました。みんなとてもフレンドリーでした。

特に楽しかったのは、いろいろなアイスブレイクゲームをしながら一緒に笑ったことです。また、ダニエル3章をテーマにしたスキットをみんなで作ったのも、とても楽しい思い出です。

今回のWITで、僕が一番強く感じたのは、聖霊が他の人たちを通して僕を励ましてくださったことです。

JxJは、僕が関わっている唯一の日本人向けのミニストリーだったので、それまで僕には、JxJが日本の人たちに仕える中で果たしている役割も、小さなものにしか見えていませんでした。

でも、WITで過ごす中で、アメリカ各地のいろいろなミニストリーが、日本人がイエス・キリストを知るために働いていることを知りました。そして、聖霊によって、神様がもっと大きな計画を持って働いておられることに目を開かれたように感じました。

また、自分たちのミニストリーが抱えている課題についても、安心してみんなに話すことができました。WITに参加していた人たちも、似たような課題を経験していて、お互いにアイデアを出し合うことができたからです。

WITでの経験は、僕たちが学んだダニエル3章の内容とも重なっていました。それは、信仰の仲間と一緒に、火の炉に立ち向かうということです。

今回のリトリートを通して、アメリカにいる日本人がキリストの愛を体験できるように仕えることへの情熱を、もう一度与えていただきました。

鎮まりの時間の大切さ: C-WIT証

こんにちは。ベインズ郁代と申します。カリフォルニア州サニーベル市に、夫と娘二人と共に住んでおります。今日は、私の仕事を通じて、私にとっての鎮まりの時間の大切さをご紹介したいと思います。

  私の仕事は、シリコンバレーにあるアメリカのハイテク企業のマーケティングで、うちの重役とお客様の重役との会議を企画設定する仕事です。年間120件以上の会議を取り扱っています。営業さんから会議設定の依頼を受け、製品チームの適任者たちにつなぎ、会議に向けた準備をリードしていきます。会議は半日から1日、あるいは2日間で、チームで内容を吟味しながら、準備を進めていきます。

  この仕事をかれこれ30年していますが、最近、知見をまとめて「会議依頼のプロセス」として会社全体の規範としてまとめることができました。依頼フォームのアプリケーションも開発し、1年間の試運転を経て、いよいよ上司の承認も得、最近発表しました。世界各国にいる約5,600人の営業さんとフィールドエンジニアを対象に発表したのですが、これが今の会社での私の仕事の集大成といえるかもしれません。

   さて、毎日私が会社で何をやっているかですが、とても細々した、煩雑なコーディネーションです。仕事がら多くの人とのつながりがあり、たくさんのEメールやミーティングで、確認したり、調整したりをしています。もちろん失敗もします。正直言いますと、そんなに長くやってきていても、営業さんから会議設定の依頼があると、私は一瞬、「面倒くさいな!」と思うのです。個々の依頼の内容は本当にまちまちで、複雑で、面倒くさいものなのです。でも次に、その人のやろうとしていることを理解し、助けたいという気持ちが、なぜか沸きあがります。いったいなぜ、私は助けたいと思うのだろう?と考えてみました。

   周りの同僚の中には、規定の手順に従っていないからと 依頼を取り合わなかったり、プライオリティを下げる人もいますし、ルールを細かく強要する人もいます。自分の責任範疇ではないからと、他の人に投げてしまう人もいます。でも私は、営業さんからの情報が欠けていたらフォローしますし、多少の無理難題なら聞いてあげます。ボスからすると、私は面倒見すぎ!と言われることもあります。でも私としては、自分の作った手順ではありますが、何がなんでも従え、というふうにはしたくないのです。同じ社員どうし、どうして争わなければならないのか?と思います。

  その営業さんにはその営業さんのノルマがあり、そのためにやるべきことがあるわけで、会社の売り上げという同じ目標に向かう者どうし、協力したい、助けてあげたいと思うのです。特に、新入社員で よくやり方がわからなかったり、他の人から相手にされず取りこぼされた人たちなら、なおさらです。私の動機は、「その人とよい信頼関係を作りたいから」、そして「組織間の壁を超えて、平和に協力し合える環境をつくりたいから」ではないかと思います。

  もともとクリスチャンになる前も、仕事はまじめにやる方だったのですが、それは人に良く見られたいから(people pleaser)であったり、承認欲求であったり、お給料のためであったり、職を失わないためであった部分がありました。会社に貢献したいから、という大義名分的な理由もあったかもしれません。そして、自分の努力で仕事をこなしていました。ところが、クリスチャンになってから、もっと「相手のためになりたい」、「喜んでする」というように姿勢や気持ちが変化していったように思います。

  私がクリスチャンになったのは、アメリカに来てから、西暦2000年ごろでした。その後、2016年ごろに、エグザメンという鎮まりのエクササイズを知り、時々行ってきました。一日の終わりに、神様の前に鎮まり、今日の自分を振り返るというエクササイズです。心に浮かんでくる今日の出来事を思い返し、いつ私は慰めを感じただろうか、いつすさみを感じただろうか、と自問します。その目的は、「主の恵みの中で、自分の状態を知り、神様の御心を知り、一つひとつを神様の前に委ねていけるようになること」、また「自分のコントロールから主の愛の支配のもとへと、明け渡していけるようになること」です。中村佐知さんのブログで教えていただきました。

 

神様の前に鎮まり、自問していると、言葉で語られるというほどはっきりはしないのですが、感じるものがあります。

 

  たとえば、今日はあの人とよい人間関係が築けたと感じた時、とても達成感があり、喜びや希望を感じます。その達成感じたいが、神様から与えられていると感じます。達成感を通じて、神様も喜んでおられる、ということを伝えてくださっているのかもしれません。いろんな国の様々な人と関わって仕事することは楽しく、わくわくします。俯瞰して見ると、今日この日、アメリカのこの会社という場所に 神様が私を配置してくださり、あえてこの人たちと仕事をすることを許してくださったこと、そこに神様の目的があると感じられ、感謝するようになりました。そうした気づきや確認をくださる神様に 感謝が湧き上がります。

  逆に、今日自分が至らなかった所や失敗した所、言葉足らずで相手を傷つけてしまったかもしれない所は、心が騒いだり、痛みを感じたりし、気力がそがれます。そして、次は改善しようと促されます。たとえて言いますと、窓や灯りのない物置部屋に入ることを想像してみてください。真っ暗で何も見えませんが、ろうそくを持って入ると、物置の中にある 色々な物がパッと照らされます。良いものも悪いものも、光のもとに晒されます。神様と対話するとき、そのように、自分の心が 神様の光に照らされる ということを私は体験するのです。極端な例ですが、一度、仕事の件ではありませんが、耐えられないほどに自分の罪を感じたことがありました。その時は、神様と断絶する恐怖をすら感じ、もちろん行いを改めましたし、二度とこのようなことはしないと思いました。

  このような体験をしていくうちに、日々の仕事の中で、神様の喜ばれる方向、相手のことを考え、愛のある方向を選択するように 導かれていったと思います。鎮まりの体験を繰り返し、自分の行いを神様の前で検証する中で、少しずつ変わっていったのだと思います。その結果、「よい人間関係を築きたい」、そして「組織間の平和をつくりたい」と自然に心がけるようになったと思います。

  会社の仕事は、毎日繰り返される普通の日々ですが、人間関係が深く関わっていて、それも りっぱな神様へのささげものであると、最近学びました。会社の仕事も「聖なる普通の毎日の中にある神様の御臨在や恵み」であり、私を変えようとしてくださる神様の大きな愛であると思っています。

  一日を思い返すと、もちろん会社の外でも、家庭でも、日々の忙しさや ささいな事の中で、神様は私に出会ってくださっています。神様の愛を知るための 鎮まりの時間を大切に、これからもこの習慣を続けたいと思っています。

ご静聴ありがとうございました。

2026年8月15日

聖句

神よ 私を探り 私の心を知ってください。

私を調べ 私の思い患いを知ってください。

私のうちに 気宇のついた道があるかないかをみて

私をとこしえの道に導いてください。(詩篇139章23−24節)

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