ミラー泉(イリノイ州在住)
今回のCCからちょうど1年前のメモリアルデーの日曜日に洗礼を受けたばかりの新米クリスチャンです。誰一人知り合いのいない中での初参加でしたが、イエス様を信じているというたった一つの共通点だけでお互いが心を開き繋がる事ができるんですね。すぐに当初のCC参加に対する不安は消え、沢山の良い出会いにも恵まれました。仕事や家事など常に「次にやらなくてはならない事」を考えている普段の生活から離れ、じっくりと神様と向き合うことができた二泊三日は私にとって非日常的で贅沢な時間でした。そしてCCで得たものは期待をはるかに超えたものでした。
主のメッセージを伝える賜物を多大に与えられた講師の先生方やスモールグループでのディスカッションを通して学んだ事は多く、というよりも学ぶ事だらけで、取り次いでいただいた聖書の教えはどれも心に響きました。その中でも最も私に強烈な印象を残したのが、
「聖書には罪人である人間にとって到底無理だと思われる教えが沢山あります。ピリピ人への手紙4章4節、いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。という教えもその一つです。私たちは素直に喜べる時もあります、でも 悲しみに打ちひしがれる時や病に侵され肉体的にも精神的にも苦しみがある時、いつも喜ぶ事なんて出来るわけありません、と最初から諦めてはいませんか?それではダメなんです。もしあなたが喜べないんだったらうわべだけだっていいから、喜んでいましょうよ。」
という鍵和田哲男先生の言葉でした。私は内心、「いつも喜ぶことだけではなく、赦すことや敵を愛することは私たち人間にはいつも出来ることではない。主が聖霊の力で私たちにそれが出来るように変えて下さるように祈り、出来るようになるのを待ってはいけないのか?心からそうは思えないのにうわべだけでそうしても意味がないのではないか?」と疑問に思いました。そしたら鍵和田先生は私の心の中をご存知かのようにこう続けられたのです。
「神様、喜びなさいとおっしゃる前に先に平安を下さい。平安を下さったら私にも喜ぶことが出来ます。という考えもあります。それも真理だと思います。自分にそうしろと言われても出来ないのですから。」
私はクリスチャンの家庭で育ちませんでしたが初めてイエス様の事を知ったのは物心つくかつかないかの幼い頃でした。それ以来主は6年間のプロテスタントの中学校、高等学校での教えや教会、社会人になって渡米してから主は沢山のクリスチャンの友人を通して私に絶えず働きかけて下さいましたが、私は敬虔なクリスチャンの友人の生き方に感動し多大な影響を受けながらも「私がクリスチャンになることはない」と頑なに思っていました。そんな主の恵みを受ける資格など全くない私に対して主は奇跡を起こして下さいました。3年前、長年の親友であるクリスチャンの気持ちに真摯に応えたいという気持ちで主の臨在を信じて毎日祈り始めました。主は私たちの事を自分で自分を理解している以上に理解しておられます。私が16年間絶縁していた父とのことを主に祈ったわけではありませんでした。でも父に対する恨みや憎しみ、赦せない思いが「自分はクリスチャンにはなれない」と思っていた理由であったのを主はご存じでいつの間にか私の心の傷を完全に癒して下さり、怒りや憎しみをも取り去って下さっていました。今年の3月に17年ぶりに父と再会し主の祝福に満ちた時間を過ごす事が出来ました。そういうわけで私の場合私の努力で、とか私が頑張ったから、父と和解できたわけではないのです。私には到底無理なことでした。主が奇跡的に私を変えて下さった、ただそれだけなのです。主は、10人いれば10通り、100人いれば100通り、私たちに対してそれぞれに合ったアプローチをして下さいます。ですから私自身の経験と同じように主が他の人に対して働きかけられるとは限らないことも理解していますが、自分の経験から「私たちが頑張らなくても主が私たちを御心に叶うように変えて下さる!」という思いは強くあったのです。
鍵和田先生は更にこう続けられました。
「いつも喜ぶ事なんて出来ませんと思っている人はいつまでたっても喜ぶ事なんて出来ないのです。でも聖書に従えないのが分かっているのにそれでも従おうとする時、喜べないのが分かっているのにそれでも喜ぼうとする時、感謝出来ないのに感謝しようとする時、聖霊は働かれます。私たちが一歩踏み出して従おうとすれば聖霊の働きにより、心から喜んだり感謝できるようになるんです。」
最後に
「どんなに罪人であっても私たちにからし種ほどの信仰さえあれば主は救って下さいます。でも、からし種よりももっともっと大きな信仰を持って堂々と天国へ行きましょう!主を信頼しきって主の喜ばれることをもっともっとしましょうよ。」
というメッセージは、お話をお聞きしてから一ヶ月が過ぎようとしている今も私を励まし、クリスチャンとして一歩前に踏み出す勇気を与えてくれるのです。