歓迎の祈り

中村佐知(キリスト教書翻訳者、JCFN理事、スピリチュアル・ディレクター)

私たちは、日々の生活の中で不安や恐れ、悲しみ、怒り、いらだち、絶望感など、不快な感情に襲われることが少なからずあるものです。日常で体験する何らかのことが引き金となって、強い感情が湧き上がることもあります。そのようなとき、「闘争か、逃走か」のモードに入り、祈りをもって応答するよりも、感情的に反応(リアクト)しがちです。あるいは、泥沼のような否定的な思考ループから抜け出せなくなったりします。歓迎の祈りは、そういった強い感情に押し流される代わりに、それを主にお渡しし、癒しをもたらす主の御臨在をお招きし、その中に自分の身を委ねることを助けてくれます。

歓迎の祈りとは、究極的には明け渡しの祈りです。前述のような強い感情は、往々にして、私たちの心の奥底にある、ある種のニーズや願い(安全や保証、愛情や承認や尊重、コントロールや力)が何らかの形で満たされていないとき、脅かされると感じるときに出てくるものです。そこで、そのような感情が出てきたとき、いったんそれを十分に受けとめ、その上で、自分の奥底にあるニーズを真に満たしてくださるお方に、それらの感情やニーズを明け渡します。この祈りを祈れば、そのとき感じていた強い感情がただちになくなるとは限りません。何度も戻ってくるかもしれません。そうであれば、そのたびにその感情を、祈る機会へと変えることができます。神様に思いを向ける機会にすることができます。そこから先は、私たちの祈りを聞いておられるお方に委ねましょう。

 

(1)じっくりと感じる:今このとき、自分が体に感じている感覚に注意を払い、よく意識する。

強い感情はしばしば身体的な反応を伴います。なんだか体がそわそわしている。呼吸が浅い。心臓がドキドキする。からだがこわばる。胸が苦しい、ムカムカする、動悸、頭に血がのぼる、体がしびれる、どこかに痛みがある、など。まずは自分の身体がどこで何を感じているのかを意識してください。身体が感じているものを、抑圧せず、目をそらさず、深呼吸をしながらしっかりと感じてください。身体のどこで緊張感を感じているでしょうか。どこに痛みがあるでしょうか。どこが苦しいでしょうか。身体が訴えているものに注意を払ってあげましょう。その感覚は、あなたに何を知らせようとしているのでしょうか。今あなたの中にどんな感情があることを示唆しているでしょうか。あなたが今感じている感情は何でしょうか? 怒り、苛立ち、失望、絶望、悲しみ、恥の思い、不安…

あるいは、怒りや苛立ちなどを感じているとわかっていても、身体も反応していることには気づいていなかったかもしれません。身体の感覚にも注意を払ってください。身体は、私たちが無意識のうちに感じていることに対して反応していることがよくあります。自分が意識している感情以上に、身体のほうが正直にサインを送っていることがあるものです。そのような身体的感覚、またそれを起こさせている感情を、否定したり抵抗したりせず、あえてそのまま感じてください。決して自虐的になって否定的な感情に耽るということではありません。こんな感情を持ってはいけないと思ったり、自分が心と体に感じているものの良し悪しを判断したり分析する必要はありません。単に、今、自分がそのような感情や感覚を経験していることを認めます。このように、身体が感じている感覚をそのままで受け止めるとき、その背後にある強い感情から、少し距離を取ることができます。感情と、あなたという人間が切り離されます。感情があなたを支配する力を緩めることができます。どんなに強い感情があっても、その感情はあなた全体ではなく、あくまでもあなたの一部でしかないのです。

 

(2)自分が感じているものを歓迎する。

文字どおり、「ようこそ、恐れ(怒り、不安、悲しみ、失望、いらだち…)」と口に出して優しく言ってみます。小さな声でいいです。声に出したくなければ、心の中でもいいです。歓迎するとき、本当に親しい友人、愛する人がやってきてくれたかのように、心をこめて「よくきたね」と言ってあげてください。私はよく、ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじが、その否定的な感情の名前(怒りとか悲しみ)を書いたはちまきをして私のところにやってくる場面をイメージします。そしてその目玉おやじを、「よくきたね、ようこそ」とハグしてあげるのです。もちろん目玉おやじでなくてもかまいません。私の場合は、そうするとイメージしやすいからそうしているだけで、みなさんにとってイメージしやすい形でイメージしてください。自分にまとわりつく子犬や幼子をイメージしてもいいかもしれません。あなたにまとわりつき腕の中に入り込もうとする子犬たちが複数いるかもいれません。一匹一匹を歓迎してあげてください。大切なことは、自分が拒絶したいと思っていたその否定的な感情を、なるべく具体的に歓迎することです。この祈りを考案したMary Mrozowskiは、この「歓迎」を、さらに「もてなす(be hospitable)」と表現していました。

恐れないぞ、悲しまないぞという具合に、自分の中に湧く否定的な感情に抵抗しようとすると、私たちの思いは一気に戦闘モードに入ってしまいます。戦闘モードに入ると感情はますます高ぶり、体はますます緊張するでしょう。しかしそれらの不快な感情を、自分にとっての客人として歓迎するならば、それらの感情を引き起こしていた出来事や状況は、もはや私たちの心の平安を乱す力を持てなくなります。そして不思議と心や体の緊張も解けていきます。

ただし、歓迎するのは自分が感じている感情であって、そのような感情を引き起こしている原因・問題(たとえば病、災害、いじめ、困窮、社会構造、びっしりのスケジュールなど)ではありません。また、否定的な感情を歓迎するとは、その中に喜んで留まるという意味でもありません。その感情を敵視したり目を背けたりするのでなく、もてなす気持ちで受け止めるのです。そして、そのような感情を感じているそのとき、その場に、神のご臨在があることを覚えます。あなたが目玉おやじをハグしているその隣に、イエス様が一緒におられます。イエス様が目玉おやじをハグしているあなたのことを見守り、そっと抱き寄せてくださいます。そもそも目玉おやじが出てきてしまったのは、あなたのニーズが満たされていないと感じたからでした。あなたはそのニーズを、知らず知らずのうちに、自分の力で満たそうとしたり、周囲の人や環境によって満たそうとしていたのかもしれません。目玉おやじをもてなしたら、イエス様に紹介してあげてください。

 

(3)受け止めたその感情や、それを支配したい、変えたいという願いを、神に向かって手放す。

そして、「神様、あなたに私の恐れ(怒り、不安、悲しみ、失望、苛立ち…)をお渡しいたします。」と祈ります。目玉おやじを抱きかかえ、イエス様に手渡すイメージかもしれません。さらに、続けてこう祈ります。「これらの感情の背後にある、期待通りに物事をコントロールしたいという願い、他者から受け入れられ、認められ、愛されたいという願い、安全でありたい、安全であるとの保証がほしいなどの願いを、手放します」と祈ります。主だけが神であり、主こそ私を満たし、癒し、慰め、励まし、助け、支えてくださる善いお方であるという信頼のもとに祈ります。

 

The Welcoming Prayer 

Welcome, welcome, welcome.

I welcome everything that comes to me today

because I know it’s for my healing.

I welcome all thoughts, feelings, emotions, persons,

situations, and conditions.

I let go of my desire for power and control.

I let go of my desire for affection, esteem,

approval and pleasure.

I let go of my desire for survival and security.

I let go of my desire to change any situation,

condition, person or myself.

I open to the love and presence of God and

God’s action within. Amen.

(Mary Mrozowski)

ようこそ、ようこそ、ようこそ。 

今日、私のところにやってくるすべてのものを歓迎します。

なぜなら、それらは私の癒しのためであると知っているからです。

すべての思い、感情、気持ち、人、状況、状態を歓迎します。

力や支配を持ちたいという願いを手放します。

愛情や、尊敬や、承認や、喜びを得たいという願いを手放します。

サバイブしたい、安全でいたいという願いを手放します。

状況や、状態や、人や、自分自身を変えたいという願いを手放します。

神の愛とご臨在、そしてその中にある神の御わざに、自らを開きます。

アーメン

(メアリー・ムロゾウスキー)

 

 

 

 

ミシガン州日本人ミニストリーレポート

倉田めぐみ(JCFN中西部協力主事)

 

 ハレルヤ!主の御名を賛美します♫。JCFNに中西部協力主事として関わる恵みに預かっております、倉田めぐみと申します。まだ寒い日もありますが、皆さまお元気でお過ごしでしょうか。今日はこの場をお借りして、ミシガンで神様が行ってくださっている働きについてシェアさせて頂ければ幸いです。

 「ミシガン」と聞くと他の地域にお住まいの方は何を思い浮かべられるでしょうか。雪・寒風・・・も、もちろん目一杯ありますが、ミシガンの代表的な産業と言えば自動車。近年自動車関係の仕事でこの地に移住する日本人が多くなり、アメリカ国内で日本人の人口増加率の1、2を争う地域です。

 そのような日本人を対象にした大小の働きがミシガン各地に点在しています。今回は日本人人口が特に集中しているデトロイト近郊、ミシガン南東部を中心にご紹介したいと思います。

 この地域の日本人ミニストリーを現地のアメリカ人兄弟姉妹の支え抜きにして語る事はできません。複数のローカル教会が提供するESLやバイブルスタディを始め、様々なプログラムを通して駐在員家族を中心に毎週数百人の日本人にリーチアウトが行われています。

 下は昨年10月20日(土)に行われたRJCマルチサイトカンファレンス・ミシガン会場の様子です。地域の様々なミニストリー団体や教会から日本人ミニストリーに重荷を持った人々が一同に会して、情報交換と励ましを受ける祝福された時となりました。多くのアメリカ人、また日本人以外の外国人の方々が、なんとかして一人でも多くの日本人の魂が救いへと導かれるようにと熱心に祈り求め、豊かに愛を注ぎ続ける姿を拝見するにつけ、主の日本への憐れみといつくしみを目の当たりにするようで胸が熱くなります。

 また今回は2015年秋に続き愛知県牧師会より井森隆司先生(日本バプテスト教会連合 豊田みのりキリスト教会)と入江告先生(日本同盟基督教団 豊田神池キリスト教会)が来訪してくださり、RJCカンファレンスにもご参加くださって共に交わり、豊田市の教会の事を伺う機会が与えられました。

自動車関連の仕事で駐在している家族の多くが愛知と近辺の地域からやって来て、またそこへ戻って行かれるので、ミシガンと豊田の間で協力関係が育まれているのはまさに主が与えてくださった橋渡しの備えだと思います。

 次の写真は日曜賛美喫茶とインドア・アウティング(お餅フェローシップ版)からのものです。これはどちらも教会の枠を超えた信徒主体の超教派イベントで、様々な家庭で持たれているバイブルスタディ等と並んでクリスチャン同士の励ましと成長の場であると同時に、教会にまだ行った事がないノンクリスチャンの方も気軽に参加できる雰囲気になっています。

こんな感じで、寒いミシガンですが主の業は熱いです!どうぞお祈りに覚えて頂ければ幸いです。

 

この地で多くの日本人がキリストに出会い、従う者と変えらるように。

豊かに用意されている収穫のために働き人が起こされるように。

すでに救われたクリスチャンに一致と成長が与えられ、主の働きの協力者として立っていく事ができるように。

 

それぞれ置かれた場所で、皆さんの上に愛の神様の祝福が豊かにありますように。

 

「よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救いを告げ、シオンにむかって『あなたの神は王となられた』と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。」イザヤ52:7

JCFN主事候補・ 土田ファミリーインタビュー!

こんにちは!めぐみっくすです。
日本では花粉が飛んできましたね。
今朝もニュースで花粉症対策グッズの特集をやっていました。
いかがお過ごしでしょうか??
さて今回は、現在JCFN主事候補の土田ファミリーにインタビューしました!
じゃん!
上段:啓(ひろむ)さん、あおいちゃん
下段:みふみちゃん、ほのかちゃん、大介さん
現在はサウスカロライナにお住まいの土田ファミリー。
サウスカロライナっていうのは、地図で言うと
このたび、土田ファミリーが、どのように帰国者ミニストリーの働きに導かれたのでしょうか!?
早速インタビューしてみましょう!
めぐみっくす:
どのようにして、この働きに導かれていったのですか?
大介さん:
ある日、留学生のためのバイブルスタディに参加したんです。そこで関西から来た学生たちと出会いました。
来て2週間くらいの56人の学生たちが参加していたのですが、
「なんでクリスチャンになったんですか!?」
とか、
「大介さんが聖書を勉強することになった理由はなんですか!?」
と質問されました。
そのとき、「これ、もし日本で出会ってたらこんな質問されるかな?」と思ったんです。
海外だからこそ、心が開いているんじゃないかと。
それから、留学生や駐在でアメリカに来ている家族を家に招くようになり、共に食事をするようになりました。
彼らに「なんで英語学んでるの?なんでアメリカに来たの?」とか、些細な会話をしていくと、だんだんと将来どんなお仕事をしたいのか、仕事・結婚・お金どこに価値を置いて歩んでいるかなどなど、人生の話につながっていくんです。
大切な出会いを神さまが備えてくださっていると思いました。
しかし、神さまからの召しを活かす形が分からなくて、はっきり教えてください!と祈りました。
その中で、自分が留学生を励ましたかったし、自分もかつて経験した、助けてもらわないといけない環境に置かれる彼らの気持ちがわかることに気付きました。
それで、留学生や、ファミリーにリーチアウトする働きをしたい、と願うようになり、サインが与えられました。
食事を共にした何人かから、「ここに来ていなかったら、こういうことを聞こうとしなかったと思います」と言われました。
日本を離れて初めて 人生の意味や目的を考えるケースは驚くほど多くて、神さまの愛が、海を渡った別世界だからこそ耳を傾ける人たちとの出会いを与えてくれました。
そしてこのことばが心にスっと響きました!
しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。ローマ10:14
自分だけでなく、妻にも神さまが語りかけてくださっていました。
啓さん:
以前から教会の若い子やノンクリスチャンの友人を食事に呼んで、笑い話から悩みごとまで話したり祈り合ったりすることがよくありました。この様な交わりが実はとても大切で、外国人として生活する時に家族の様に接してくれる存在は大きな励ましです。イエスさまが多くの人と食事を共にし愛を語った姿は私たちのミニストリーのモデルだと思っています。
めぐみっくす:

やっぱり食事って大事ですね!

神さまがさまざまな人との出会いを備えてくださって、その中で気付きを与えてくださったのですね。

なにより、大介さん、啓さん、それぞれに神さまが語りかけてくださって、ビジョンを見せてくださったことがわかりました。

さて次の質問。
JCFNとの出会いは?
大介さん:
この働きの召しを受けてから、JCFNとの出会いが与えられました。
その後実際にCC2018に参加して、自分たちのビジョンとJCFNの働きが一致していたので導かれていきました。
めぐみっくす:
なるほど。JCFNという団体をもともと知っていて、この働きに参与しよう!というものではなくて、神さまに従っていく決心をして学びを進める中でJCFNとの出会いが備えられたんですね。
神さまは不思議です。
最後に聞きます。
これから神さまに期待することはどんなことですか?
大介さん:
献身してから自分の限界にぶつかる回数が増えたと思います。だからこそ神さまの力強さ、神さまそのものを知ることができるように思います。神さまありきの自分なんですよね。
また、神さまはもっとできる人を選べば良いのに、と思うこともあります。でも弱い人を神さまは選ぶんですよね。モーセもそうだったじゃないですか。弱さの中にあって、神さまの力強さを知り、より頼らなければならないんです。
これからも、神さまが家族とミニストリーを導いてくださることに期待しています!
めぐみっくす:
ありがとうございました!
本当は、大介さんの過去の話とか、あんなことやこんなこと、いろいろ聞いたのですが、長くなってしまうので泣く泣く割愛しました。
もっともっと知りたい方、ぜひ土田ファミリーと出会って、聞いてみてください。
きっと、皆さんにも恵みの神さまを分かち合ってくれると思います。
土田ファミリーは、ただ今サポートレイズ中で、主事になるための準備をしています。
このブログを読んだ皆さんにお願いしたいのは、
①お祈りに覚えてください。
そして、具体的に土田ファミリーを応援したい!という方、
②ぜひ神さまに期待して共に捧げていきましょう!
献金方法は、こちらからお願いします。
「土田ファミリー・サポート」と記入してご指定いただくか、JCFNオフィスまでご連絡いただけると助かります。
とにかく捧げたいけど、やり方わかんない!という方は、なんでもかんでもJCFNオフィスにお問い合わせちゃってください!
めぐみっくす
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