6月イベント情報

6月のイベント情報です。

【北米】

◎WIT19 Leadership Training Camp
日程:6月20日(木)~ 22日(土)
場所:カリフォルニア州ヴァンガード大学
問い合わせ先:メール

◎Living Water
日程:6/28 夜7時から(第四金曜日)
場所:ロス近郊パサデナ Victory Church
問い合わせ先:ミニストリーページ

◎JXJ
日程:6月29日(土)4:30pm
場所:ワシントン州シアトル ISIハウス
問い合わせ先:ミニストリーページ

◎ぷにゅ〜ま
日程:6月未定
場所:イリノイ州シカゴ
問い合わせ先:ミニストリーページ

【関東】
◎JCFN de お茶LUNCH(東京)
日時:毎週木曜日11:30〜13:30
場所:JCFN日本事務所
問い合わせ:E-mail

◎JCFN日本祈祷会OCHAHOP(東京)
日時:6月8日(土)10:30〜12:00
場所:JCFN日本事務所
問い合わせ:E-mail 、イベントページ

◎ICF Kichijoji(東京)
日時:6月8日&22日(土)18:30〜
場所:武蔵野福音自由教会(吉祥寺)
問い合わせ:E-mail(William Wen)

【関西】
◎ANRK6月集会(大阪)
日時:6月22日(土)
場所:TBA
問い合わせ先:E-mail

JCFN

イエスの御名で(ヘンリ・ナウエン)その2

中村佐知(キリスト教書翻訳者、JCFN理事、スピリチュアル・ディレクター)

前回の続きです。ヘンリ・ナウエン『イエスの御名で』の第二部より。

前回のArticleはこちらから。

 

[II]人気を求めることから、仕えることへ

    誘惑―人の歓心を買うこと

 務め―「わたしの羊を飼いなさい」

 訓練―告白と赦しの回復

Spectacularでありたい誘惑。ナウエンは、リーダーが陥りやすい誘惑を、なんと的確に言い表していることでしょうか。Spectacularとは、ショーなどで観客を「うわ~っ、すご~い!」と思わせるようなこと、と言えます。見事な説教、見事な洞察力、見事な解き明かし、見事な統率力、見事な問題解決能力、見事な…… ナウエンは、彼の「見事な」経歴や業績ゆえに、よく訓練され整えられた、何でも一人でできる、有能な説教者・司祭だと思われるようになっていました。しかし、知的障がいを持つ人とそうでない人たちが共に生きるラルシュ共同体で暮らすようになり、彼は気づいたのです。自分のこれまでの生き方は、観客からの拍手喝采をいつも待っている、高いところに張られたロープの上を渡る曲芸師のようだった、と。スターになること、ヒーローになること。それはこの世の競争社会が当然のように追求することです。しかし聖書的なリーダーになるとは、決してヒーローになることではないのです。

 

イエスはパウロに、「羊を飼う」という務め(ミニストリー)をお与えになりました。そして、弟子たちを二人ずつペアで送り出しました。ナウエンは、この「羊を飼う」という務めは、個人プレイでなされるものではなく、共同体としてなされるものだと説明します。さらに、共同体としてなされるだけでなく、共同体の中のメンバー同士として、相互になされるものでもあると言います。互いに知り、知られ、赦し、赦され、ケアし、ケアされ、愛し、愛されている、共同体の中の兄弟姉妹として、傷つきやすい存在同士としてなされるものなのだと言います。

これは、今日私たちの知っているリーダーシップのあり方とは、ずいぶん異なることものではないでしょうか。一般的には、リードする人とされる人、指導する人と指導される人、教える人と教えられる人は、その役割を混同しないことが大切だと思われています。したがって、適切な距離感を保ち、ヒエラルキーのトップに立つことで、リーダーは自分の立場や権威を守ろうとします。しかしながら、癒したり、和解をもたらしたり、いのちを与えるのは、私たちではありません。それをするのはあくまでも神です。私たちは、たとえリーダーの立場にいようとも、自分もまた同じように、ケアされ愛され赦される必要のある、罪深く、傷つきやすく、壊れた人間なのです。ナウエンは言います。

「限界のある、めいっぱい条件付きでしかない私たちの愛を、限界のない、無条件の神の愛が注がれるための入り口とするべく私たちは選ばれている、というところに務め(ミニストリー)の奥義(ミステリー)がある。

 

サーバント・リーダーシップという言葉が近年よく聞かれるようになりました。ナウエンもサーバント・リーダーシップについて語っています。しかし、おそらく一般にサーバント・リーダーシップと言うとき、他者の長所を生かせるリーダーとか、目立たない奉仕でも自ら率先して行うリーダー、のような意味で用いられることが多いのではないでしょうか。それはそれで、確かに尊い姿ですし、自分がヒーローにならない、という点ではナウエンの言っていることに近いでしょう。しかし、ナウエンが言っているのはちょっと違います。ナウエンの言うサーバント・リーダーとは、自分にも弱さや傷があり、他者からのケアや務めを受け取る必要があると認めるしもべの姿を持つリーダー、という意味なのです。

ナウエンは、そのようなリーダーシップを培うための訓練として、「告白と赦し」をあげます。これは、リーダーが、自分を単独で活躍するヒーローに仕立てたくなる誘惑に抗するための訓練です。自分はリーダーなので他者に弱さは見せられない、と思っていると、それが偽善や隠れた罪の温床になってしまうことがあるでしょう。また、自分が仕えようとしている人たちとの間にも見えざるバリヤーを作ってしまうかもしれません。しかし告白を実践することによって、自分の中にある闇に光を当てることができます。そして赦しを受け取ることにより、もはや闇がその人の中で、また共同体の中で、力を持つことができなくなります。罪の告白と赦しがなされる場に注がれる親密な愛がいかに尊いものか、経験したことのある人ならよくご存知でしょう。

 

とはいえ、説教壇から自分の罪や失敗を具体的に告白せよ、という意味ではありません。そういうことではなく、リーダーもまた、自分の属する共同体に対して説明責任を負い、完全無敵のヒーローとしてではなく、弱さや傷も持った人間として、共同体からの愛とサポートを必要としているということです。そして、弱さを隠した自分、という姿で仕えるのでなく、弱さや傷も含めた等身大の自分で仕えるということです。「告白と赦し」を実践することは、スペクタキュラー(「すご~い人」)であらねばならないという、不健全な理想やプレッシャーから、リーダーを自由にするのでしょう。そして結果として、そこにスペクタキュラーな神様の御業が現されるのでしょう。ただし、神様のスペクタキュラーというのは、人の目には、目立たず、地味なものかもしれませんが。

 

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