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- 帰国者ってどういう人?
まず2つのケースをご紹介します。
ケース 1:A さん(独身女性)の場合。
私はイギリスで初めてクリスチャンに出会い、とても良くしてもらい、初めて教会に通い、聖書を学ぶようになりました。現地の教会です。すべて英語です。英語を学んだ街は大学町で、英語学校はクリスチャンの英語学校。先生は皆クリスチャンでした。ホームステイ先もクリスチャンでした。日本ではクリスチャンに会ったことも、教会に行ったこともありません。先生や、ホームステイ先の家族の生き方に大変惹かれ、誘われるままに教会に行くようになりました。教会は、人数は200人位。大学町ですから学期中は特に若い人が多く、賛美も前にバンドがあり、若い人向けの賛美です。礼拝に来る人は子供から年寄りまでいましたが、プロジェクターで映し出される歌詞を、皆顔を上げて輝いて歌っていました。英語力はある方なので、言われることはだいたいわかります。もともと何でも口に出せる性格なので、言いたいことはだいたい言えます。聖書の学びも進み、福音も理解し、信じたいと思いました。「イエス様を救い主として信じますか?」と尋ねられたので、「はいイエス」と答えました。皆さん大変喜んでくださいました。洗礼というものがあるのを知り、受けたいと言ったところ、じゃ2週間後にちょうど洗礼式があるから、ということでそこに入れてもらいました。受洗して1ヵ月後帰国しました。
帰国して、実家の近くの教会に行きましたが、あまりに違うのでびっくりしました。最初、礼拝に行きましたが、何だか暗くて固い感じがしました。人数も少ないし、若い人も少ないです。賛美をする時下を向いて本を見て歌っています。賛美も全然知らないものでした。説教もほとんどの人が下を向いたり、目を閉じたりして聞いていました。「イギリスで受洗して帰ってきました」と言ったら、牧師がとても喜ばれて、「ピアノは弾けますか」とか「子供は好きですか」と聞かれました。でも、日本語の聖書を持っていないと言ったら驚かれました。私は英語でずっとやってきたので日本語でどう祈ればいいかわからないし、礼拝での祈りを聞いたら敬語が多くてすごく難しそうだったので「祈れません」と言ったらまたすごく驚かれました。その後は何か、ちょっと冷たい対応になりました。イギリスでは牧師も信徒同士もファースト・ネームで呼び合っていたのに、「なになに先生」と呼ばなきゃいけないようで、これも固いなぁと思ってしまいます。今まで経験していたキリスト教とあまりに違うので、この教会にまた行くかどうかわかりません。他の教会も見て、イギリスの教会に似た所がないかどうか探してみたいと思います。
ケース2: Bさん(ビジネスマン 海外赴任でフランスに数年滞在)の場合。
妻がはクリスチャンだったので、パリに来てすぐ日本語教会を探し、私自分は運転手役から始まりました。最初は教会の建物には入らず、次は交わりだけに顔を出し、警戒心がだいぶ薄れてきたので話も聞いてみようと礼拝に出るようになりました。当私達が居た時この教会は無牧だったので、普段は役員の信徒が交代で説教し、機会あるごとにヨーロッパ各地で働いておられる牧師先生が説教奉仕に来てくださいました。いろんな先生の話を聞けたのは恵みでした。無牧の中を、信徒が全力を傾けて教会を支え、建て上げているのを見て心動かされ、「全力で自分が信じるものに力を注いでいける生き方」を知りたいと思うようになりました。そして、聖書を本格的に読み始めむようになり、クリスチャンになる決意をし、受洗しました。すぐに教会の奉仕に夫婦そろって携わるようになり、充実した教会生活で
した。この教会は人の出入りが多く、私と同じような経験をして先に帰国した兄弟姉妹の話もよく聞いています。日本の教会はだいぶ違うようで、戸惑うこともあると思いますが、妻の母教会でやってみようという思いで帰国に臨みました。
妻の母教会では私がクリスチャンになったことを大変喜んでくれて、歓迎してくれました。パリの教会との違いで納得できないことも多々ありましたが、妻と話せますし、今は「郷にいれば郷に従え」の気持ちです。慣れるのに時間がかかったことが二つあります。帰国してつくづく「パリの教会は超教派だったんだな」と思います。説教者も信徒もいろんな教団教派からきています。てんでんバラバラなようですが、自由さがありました。あの人はあの人でいい、自分はこれでいいと。そういえば、妻が時々悩んでいたのを思い出します。いろんな人がいて受け入れられないことがあると。今の教会は、「教団の教え」「教団のために」ということが多々あります。「神様のため」とどう重なるのか、違うのか、よくわかりません。窮屈な感じはします。もう一つは、奉仕にも年功序列があるということです。誰かに言われたというより、私の観察です。重要な奉仕は、長年の信徒・役員がやります。私のような新参者は、まだ会場案内しかさせてもらえません。パリの教会では人数も少なかったし、無牧だったし、新参者も古参も関係なく、力を合わせて教会を建て上げていた実感がありました。今は、「キリストの体」というより、教会内の日本社会で何とか生き延びている感じです。日本ではこんなものなのでしょう。
このように海外で福音に触れ、クリスチャンになって日本に帰国してきた人たちを「帰国者クリスチャン」と呼んでいます。彼らは日本でクリスチャンになった人とはその救われたバックグラウンドやプロセスが少し異なるため、日本に帰国し教会に足を運んだとき、本人も、そして迎え入れる教会の方々も、違和感を感じることが多々あるのです。