C-WIT〜沈黙のリトリート〜

皆さん、こんにちは。

めぐみっくすです!

日本は大きな台風が通り過ぎ、多くの爪痕を残しました。まだ避難所に多くの方が身を寄せていますが、日本は急激に寒くなりつつあります。心身共に痛みを抱えている方を覚えて、引き続き世界中でお祈りに加えていただけたら幸いです!

 

さてさて、今回のブログではJCFN主催のリトリート、C-WIT(シーウィット)をご紹介します。

日本でも同じ内容で、C-BBWIT(シービビット)というのが開催されましたが、今回は北カリフォルニアで企画されたC-WITについてです。

C-WITは、中村佐知さん(JCFN理事、霊的同伴者)、尾関祐子さん(JCFN主事)、島田結実さん、中尾真紀子さんが実行委員として企画をしてくださいました。

その中から、今回は中尾真紀子さんにインタビューしました!

 

お互い初めてお話しするので、緊張しながらのインタビューだったことを想像しながらお読みください(笑)

 

めぐみっくす:では早速、C-Witってなんですか?

真紀子さん:ContemplativeWIT(Whatever It Takes)の略で、クリスチャンリーダーの為の沈黙のリトリートです。 

シカゴから中村佐知さんを講師にお迎えし、過去に、シカゴで2回、そしてLAで開催され、今回の北カリフォルニアの開催で4回めとなります。

 

めぐみっくす:沈黙のリトリート一体どんなことするんですか??

真紀子さん:朝から夜まで、丸一日のプログラムです。ランチも沈黙のランチでした。

 

めぐみっくす:え!?どういうことですか?

真紀子さん:とにかくしゃべらないんです。そこで食べたミネストローネ、すっごくおいしかったの。

 

めぐみっくす:でも「おいしいですね」って隣の人に言えないってことですよね??

真紀子さん:はい。感覚を集中させる、ということにフォーカスしていたので、普段だったら見過ごしてしまう素材や色も楽しむことができました。その中で、神さまの細い声を聞く、という修練にもなりました。

 

めぐみっくす:なるほどー。交わりとしての食事と、また違った味わいですね。他にはどんなことをしましたか?

真紀子さん:午後は、お散歩をして、ストーンペインティング(石に絵を書いたりする)をして、今どんなことを思うか、ということを書きました。聖句の塗り絵なんかもしました。

 

めぐみっくす:何か作業や周りの景色を見ながら、自分と神さまが向き合えるよう、工夫されたプログラムなんですね。参加して、どうでした?

 

真紀子さん:

ひとつは、人って何かをすると結果を期待するし、それに伴う評価を期待すると思います。人からの評価の場合もあれば、自分で自分を評価すること。でもその結果を手放し、委ねて、イエスさまと共に歩む喜びがある、ということを教えられました。

もうひとつは、とにかくあの時間を体験したことが嬉しい!特に、日常生活に加えて奉仕をするって、本当に忙しいですよね。喜んでやっていることが、いつの間にか何かに駆り立てられるように奉仕をしてしまうことってあると思うんです。そういう方にこそ、ぜひこういった沈黙の時間を取ってほしいと思いました。

 

*****

真紀子さん、インタビューにお答えくださってありがとうございました。

インタビューの中で印象に残ったのは、真紀子さんが「佐知さんから『リトリートで恵まれたい、こういうものを受け取りたい、というものをまずは手放して来てください』と教えられた」と仰っていたこと。

確かに、私たちは何か行動するときに「このくらいやれば、このくらいの結果が得られるだろう」とか「私は何もできていないので、受け取るに値しない」という思いが湧き出てきて、誰かを愛するとき、神さまの愛を受け取るとき、ついつい費用対効果(コストパフォーマンス)を考えてしまいます。

そのような考えになってしまう自分から解放されて、プライスレスに愛してくださるイエスさまと生きることを受け取るには、沈黙の中に身を置き、神さまと自分の心と向き合う時間が必要なのですね。

皆さんもぜひ、次の機会にはご参加を検討されてみてはいかがでしょうか??

めぐみっくす

ポッドキャストにはまっている件(2)

こんにちは。またまた尾関祐子です。

最近はまっているポッドキャストその2は、

Strengthening the Soul of Your Leadership  by Ruth Haley Barton

です。リーダーとして霊的に神様との深い時間を持つことがどんなに大切か、ということを教えてくれる結構聴きごたえのあるポッドキャストです。

実は彼女の書いている、Pursuing God’s Will Together: A Discernment Practice for Leadership Groups (Transforming Resources) という本を、

JCFNの主事会月1で読書会をしているのですが(理事の中村佐知さんがリードしてくださっています。)、チームとしてミニストリーを進めていく上でのDecision Makingをどのようにしていけばいいのか、どのように神様のみ声を聴くことができるのか、ということを学んでいて、その本をよりよく理解するためにも、彼女のポッドキャストがとっても役に立っています。

ミニストリーをしているけれども霊的にドライだなー、とか、もっと神様に近づきたいなー、と思っている人、具体的にそのメソッドを教えてくれるこのポッドキャスト、おすすめです。できればはじめのエピソードから聴くといいですよ。はじめの方のエピソードには、JCFNのブログでも、中村佐知さんが紹介してくださっている、エクザメン、とか、レクティオ・ディビナ、と言った霊的修練のためのエクササイズの紹介がされています。

でも、このルースさん、結構早口です。(^◇^;)

 

 

 

 

 

帰国者を理解するために(3)〜「どう接すればいいの?」帰国者は宇宙人?その2

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過去記事リンク

はじめに

1. 帰国者ってどんな人?

2. どう接すればいいの?ー「帰国者は宇宙人?」その1

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3. どう接すればいいの? – 「帰国者は宇宙人?」その2

ポイント 2. 海外に行く前の、日本での教会経験は?

自分のことを考えたり、自分と向き合う時間がとれるようになります。外国語の環 境では入ってくる情報量がどうしても少なくなることもあり(日本だと入ってくる情 報をすべて理解できるが、海外だとそうではない)、日本での生活よりも、比較的自 分のペースで生活できます。しかし帰国すると、情報量も増え、それに動かされて しまうことも多いでしょう。さらに、家族・友人・地域・学校や職場等の環境に合わ せて生活しなければならず、「自分の時間」が無くなってしまいます。「忙しさについ ていくので精一杯」と感じる帰国者は少なくありません。〕その戸惑いをまずは受け 止め、日本の忙しさの中でどのようにクリスチャンとして生きていくか、徐々に導い ていく必要があります。

海外で生まれて初めてクリスチャンという人に出会った、友人になった、あるいは初 めて教会に入った、キリスト教と接触があった、といった場合は、日本での教会・キリ スト教経験は皆無であることがわかりますので、そのつもりで導く必要があります。し かし、日本で求道していた、幼い頃教会学校に行ったことがある、学校がミッションス クールで聖書や礼拝に馴染みがある、となりますと、ある程度日本の教会の様子を知っ ていることになりますので、この点の確認は大切です。

 

ポイント 3. 海外でどのように教会に関わっていたか?

現地教会の場合、ゲスト(お客さん)扱いされてきた方が多いかもしれません。人数 が多く、言語の壁がある中で教会活動に携わることは大抵の日本人にとっては大きな ハードルです。よって奉仕に関わった経験がまったくない可能性もあります。 一方、日本語教会・JCFの場合は、ケース 2 のビジネスマン B さんのように、少な い人数で教会を支える必要から、受洗後まもなくから(場合によっては求道中でも)積 極的に奉仕している場合があります。 日本語教会や、日本人クリスチャンが行っている家庭集会やバイブルスタディのよう な交わりで救われた場合は、そのグループ内で活発に奉仕していたことも考えられます。 そのような点も確認されると良いでしょう。

 

ポイント 4. どのような信仰の歩みをしてきたか? 受洗は?

霊的状態の確認に関する質問はもっと早い段階で尋ねるべきだという考えもあるかと 思いますが、特に現地教会の場合は「受洗した」といっても、日本の教会で洗礼準備をし、 教会の会員になるということを教えられて受洗したのとは違うケースがよくありますの で、質問の重要性からするとこれまでの質問の方が意味があるように思います。 日本語教会であれば、日本人牧師が洗礼を受ける際に何らかの学びの機会を持ってい る場合が多いので、どういう準備をしたか、教会について、教会員になることについて どの程度教えられているかを確認すれば良いように思います。

現地教会で受洗した場合は、ケース 1 の A さんのように、「受洗したい」と言う希望者 に洗礼を授ける教会もありますので、どんな準備をしたか、その教会では受洗したクリ スチャンがどのような教会生活をしていたか、を尋ねることが大切です。たとえば、い わゆる「キリスト教国」のイギリスでは、国教会の伝統もあり、洗礼とはおもに幼児洗 礼のことで、日本人がお宮参りする感覚で未信者も子供が赤ちゃんの時に教会で洗礼を 受けさせることが一般的です。洗礼を受けた者はクリスチャン、クリスチャンであれば どこに移り住んでもその「教区」の教会に通うもの、ということで「教会員」の意識は 一般的にはあまりありません。(もちろん、イギリスにもバプテスト教会や単立教会な どはあります。)アメリカや、オーストラリア・ニュージーランドなどではそのような 教区制度はないものの、教会員制度に対する意識はあまりない教会が多く、信仰告白の 祈りをしたら、その日の内に洗礼を授ける教会は決してめずらしくありません。よって、 現地の教会で洗礼を受けた、ということと、日本の教会で洗礼を受けた、ということは 大きな違いがある場合が多々あります。日本の教会では洗礼を受けるイコール教会員と なる、という場合が多いですが、海外の教会では洗礼は純粋にその人の信仰告白を意味 します。

また、稀にではありますが、本人の信仰告白というのも、よく話を聞いてみると、現 地の友人がとてもよくしてくれて、聖書も丁寧に忍耐をもって教えてくれた、信じます かと聞かれて「ノー」と言えなかった、というケースもあります。これは日本人ではな い人たちにはわからないものです。

続く。。。

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