帰国者を理解するために(8) – 「またこの教会にこようと感じる時」その2

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はじめに

1. 帰国者ってどんな人?

2. どう接すればいいの?ー「帰国者は宇宙人?」その1

3. どう接すればいいの?ー「帰国者は宇宙人?」その2

4. どう接すればいいの?ー「帰国者は宇宙人?」その3

5. どう接すればいいの?ー「帰国者は宇宙人?」その4

6. どう接すればいいの?ー「帰国者は宇宙人?」その5

7. 「またこの教会に来よう」と感じる時 その1

 

「またこの教会に来よう」と感じるとき その2

だって、ここは日本でしょ!?

「そうは言っても、いつまでも過去の事にこだわって、目の前の現実に集中できない のは健全でないし、過去は過去の事にするのが本人のためではないのですか?」という 声が聞こえてきそうな気がします。その通りかもしれません。しかし、その人にとって 海外での生活は人生に大きな影響を与える体験であり、すでに、その人の人格の一部に なっています。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」(ローマ 12:15)とある ように、その人の考え方、感情を受け入れ、寄り添い、キリストの愛をもって接する時、 その人の海外経験を含めたすべての人生をを真に「生かし」ていくことができるのでは ないでしょうか。

 

「海外では」ばかり言われると、自分の教会やクリスチャンとしての在り方を否定され たように感じる。

もしそのような思いを与えてしまうとしたら、何と申し訳ないことかと思います。海 外の教会の話をするのが、私たちのように両方をある程度知っている者だとしても、日 本の教会を知らない帰国者だとしても、決して決してそのようなつもりで言っているの ではありません。私たちが言う時には「違いを知ってください。知って下されば帰国 者を理解し迎えいれやすくなります。」という思いからですし、帰国者の場合には自分 の体験を単純に分かち合いたい思いから、もしくは懐かしさのゆえに、あるいは逆カル チャーショックの表れとして、さらには目の前の日本の教会になかなか馴染めない自分 にいらだって、ということもあるでしょう。「海外の教会のようであったらいいのに」と、 叶わないと知りながら吐露してしまう、ということはあっても、否定しているとか、一 夜にして変わって欲しいと願っているとか、そんなことはないと思います。

「文化と福音」について:在外邦人伝道という異文化宣教に携わる働き人より

 ここで、働きの前提となる、「文化と福音」に関する考えについて語る必要があるかと思います。私たちは在外邦人伝道の働きをする中でいつも、「福音の本質(不変なも の)」と「それぞれの文化における表現(文化によって変わるもの)」というものがあると、 海外でキリスト者になった皆さんにお話しています。私たち夫婦がイギリスとアメリカ の神学校で学んだ際、大きなテーマだったのが、この二つをどのように分けるのかということでした。宣教学の学びが大きな助けになりました。近代プロテスタント宣教の歴史において、西洋の宣教師が福音と共に自国の文化をも宣教国に持ち込み、信者に押し付けたという反省があります。そこで不変なものと文化によって変わるもの(変えていいもの)を見分ける学問が進みました。現在、異文化宣教においては、それぞれの文化 での表現を励ますという点が大切になっています。

西洋のキリスト教(プロテスタント)も、その文化で花咲いたキリスト教です。それ以 前は近東地域、地中海地域の文化でのキリスト教でした。聖書に記録されているユダヤ 教文化における福音のあり方、異邦人文化における福音のあり方、この二つにどのような違いがあったか、それが私たちが考える際の基本になります。イギリスには4世紀に 既にキリスト教が伝わっていました。時を経るにつれ、その時代時代の福音の表現がありました。カトリックとの対立、それゆえの宗教弾圧や流血など、あってはならないような間違いをも経験してきました。現代のイギリスの教会は、長い歴史を経、そこに培 われた知恵をもって、起こり来る問題を対処しているように見えます。決して完成しているわけではありませんが、キリスト教を長く経験している年上の兄姉(きょうだい) として、学ぶことは多いように思います。

日本は西洋からの宣教師を通して福音を受けて 150 年。戦後、大衆化し、伸びてきたとはいえ、まだまだ「伝えられたものを如何に守るか」という段階のようです。日本人の 視点で神学し、日常生活の問題、異教の環境でいかに生きるかの問題にも、日本人としての答えを出していかなければなりません。西洋の神学が骨組みを与えてくれました。 それを日本人として、私たちの現実に応用していかなければなりません。それを実行するのは、一人一人の日本人クリスチャンです。私たちはそんな風に考えながら、働きに 取り組んでいます。

それぞれの教団教派のやり方・考え方、それぞれの教会の礼拝形式・運営方針には、 歴史的必然性があり、存在理由があります。そこに変化が表われる時というのは、そのキリストのからだにあって生ける石となって身を捧げ、キリストのからだを愛する者達が変化の必要を認め、変化の道を探り、答えを出し、実行に移す時でしょう。

   帰国者であってもなくても、新参者はそこに培われてきたことを尊重し、受け止め、 自分も生ける石となっていかねばなりません。変化を望むなら、生ける石として、他の生ける石である兄弟姉妹と共に、ということになります。 ですから、私たちは帰国者を導く時、1) 帰国前に経験した教会を求めるのは間違いで あること、つまり福音の本質とそれぞれの文化における表現を見分け、文化を越えて不変なもの(聖書・聖書の神・キリストを救い主と信じる信仰、等々)を求めることを教え、 2)「あなたは日本でクリスチャンとして生活したことがない。それを教え、また支えて くれるのは日本の教会である。そこでじっくり教えてもらうように」と伝えるようにしています。私たちの主は日本の教会をどのように発展させてくださるでしょうか。帰国 者を触媒として用いて下さるようにと、私たちは祈っていますが、その祈りに主はどの ように応えてくださるでしょうか。期待して見守り、私たちそれぞれに与えられた分に 忠実にお従いしたいものです。

 

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