心に神様の働くスペースを作る

こんにちは。

北カリフォルニアに住む、中尾真紀子と申します。

私の住むサンタクララカウンティ(人口190万人)では、これまで7万5,297人、毎日1,000人前後の感染者があり、会堂で礼拝ができなくなって10ヶ月が経ちました。

新しい年は明けたけれど、長期に渡るStay Home、食料品の買い出しに長蛇の列、アウトサイドのカフェやレストランでの飲食も出来ない状態です。

そんな中で迎えた2021年ではありますが、このStay Home中に与えられた恵み、毎日をどのように過ごし、葛藤しながらも、神さまと共に歩む旅路をエンジョイしているかを、少しお分ちしたいと思います。

 

パンデミックになる前に手に取ったある本に、ストレスや恐れに対処する4つのリズムの事が書かれていました。

  • 🌿REST 自分を取り巻く様々な事から退く
  • 🌿RESTORE 心と身体のエクササイズ
  • 🌿CONNECT 笑いを共有する
  • 🌿CREATE 昔の才能を復活させる

この4つのリズムを心がける中で、自分ではなく、神さまが働いて下さる「心のスペース」を作り、ネガティヴな思いや偽りの自己認識、他者との比較から自由になりたいと思いました。

 

REST RESTOREは、インプット リズムで、

イエスさまが満たして下さる平安を、私たちの内側に注ぎ込む。

CONNECTCREATEは、アウトプット リズムで、

自分の誤った価値観や思い込みを手放し、周りとの関わりの中に新しい喜びを見出す。

それによって、ストレスや不安を抱える「人生のシーズン」を、乗り越えるリズムを修練する。というような感じでしょうか。

 

7年半前、突然の転任に伴う引っ越しをしました。自分では、なんとか上手くやっていると思っていた一年後、突然バーンアウトしてしまいました。それからというもの、私の課題は、自分の身に起きたこれらのことを、どうやってプロセスしたらいいのか?でした。

そんな葛藤の中で、イエスさまが私と一緒に休み、私と一緒に歩んで下さる「恵みのリズム」を知りました。それだけでなく、私の為に特別に作られた「喜びのくびき」が与えられていることを知りました。それでも、Covid−19によって突然変わってしまった日常に翻弄される日々ですが、そんな「コロナ禍にある日常」を綴っていきたいと思います。

 

REST のリズムの中で、まず最初に大切だとされることは「心の棚卸」です。

棚卸しといっても、お掃除や整理整頓のことではなく、

これまでの自分の歩みを振り返り、注意深く向き合い、そこに神さまの眼差しを意識することです。

 

① 自分がどんな時に、生き生きしていると感じるか

② 自分がどんな時に、疲れていると感じるか

③ 神さまは、どんなギフトを与え、私の人生にどのように関わって下さっているか

 

心の中を棚卸していくうちに、義務や責任で「しなければいけない」と思うからではなく、もっとそのことに対する「神さまの想いを知りたい」と思うようになりました。

3月にパンデミックが始まってから、当たり前のことが当たり前でなくなり、家にいる時間、自由になる時間が増えました。でも実際は、その変化と不安に掻き立てられ、生活の中に、神さまの眼差しや御声を意識することができないほど、心も身体も忙しくしている自分に気づきました。

そんな時、こんな言葉を目にしました。

 

I’m tired of helping others enjoy God. I just want to enjoy God for myself.

それはまるで、私の内側にある言葉のように感じました。それぞれに与えられた、神さまのダイナミックなCallingに応えるためには、私自身の魂の小さな叫びに気づき、もっと大切にしてあげなければいけない。この魂が主の元に安らぎ、憩い、楽しめるように心を配ることは、与えられているどんな責任や奉仕よりも大切で、私にしかできないことだと思いました。

自分の心をダウンロードしたくても、「空き容量が足りません」と出てきて、そのままにしてしまう。そのうち何が大切だったのか、何を捨てたら良いのかわからず、容量はいっぱいになり、フリーズしてしまう。

そうなると、嫌だけど、怖いけど、強制終了ボタンを自らが押さなくてはいけなくなる。もしくは、これまで上手く進んでいた大切なものまで、一瞬のうちにブチッと消えてなくなってしまう。

それは、本当に神さまが私たちに願っておられることだろうか?

 

私たちの教会のミニストリーが、内と外にも順調で、次はこれ、その次にはこんなことも、、、と様々なニーズが求められた時、ある方が、ポツリとこんなことを言われました。

「新しいことを始めるなら、今まであったことを見直し、一つを辞める必要があるかもしれない」

今だからこそ出来ること。やっと出来るようになったことやアイデアを見つけた時でした。それからは、事あるごとにその言葉を思い出します。そして、どうしていいかわからない祈りの中に

「本当にそのことは、必要だろうか?」

「何かに掻き立てられてはいないだろうか?」と留まることがありました。時には、新しいチャレンジのために、ひとつを手放すこともありました。結果は、とても心が軽くなりました。この状態ならば、またいつかそれをすべき時がきたら、神さまが一緒に「喜びのくびき」でリードしてくれると思えるようになりました。

私たちは、強制終了が必要になる前に、心の棚卸し、空き容量を作り出す必要があるのかもしれません。

「自分のしたいこと」「人から期待されること」「神さまが求められていること」は混同しやすくて、忙しい日常の中、これがベストだと思う事を判断するのは難しいですよね。

奴隷は、奴隷として生まれ育つので、休むことを知らない。だから、神は「人」としての安息日を定め、「奴隷」であるものは、強制的に休むことを自ら努めて学ばなければならないと聞きます。

Productiveでありたいと思うあまり、いつの間にか「奴隷」になってしまいそうな自分から、神に愛された「娘、息子」にRestoreされ戻ることを、目下修練中です。

先日、このコロナ禍で、これまでの常識が変わってしまう中、「今は、祝福の休止符」だと、礼拝のメッセージで語られました。

すぐに、神さま以外のどこかに、自分の居場所や価値を探そうとしてしまう私たちの魂には、安心して休める場所や、心のスペース、そして慰めが必要です。

神さまのもとで、ゆっくり語りかけを聴き、次は、どんな素晴らしいプランを備えて下さるのだろうと、期待を持って神さまと過ごす時間。

そのために、少しの間、目の前にある責任から退き、ゆっくり休み、主を楽しむことは、新年に与えられた私の抱負です。

新年早々、ちょっと面倒くさいけれど、まずはTake Inventory(心の棚卸し)!心に聖霊が自由に働いて下さるスペースを作りたい。

新しい年、神さまに造られた「pricelessな自分」を、安息日ごとに見出し、神さまだけに想いを向ける。恵みのリズムに、2021年をエンジョイして歩んでいきたいですね。

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