🌿 それぞれがBecomingされる 🌿

3月の予定が終わりに近づく中、新しい頁をめくるのが、少し怖かった自分がいました。

「本当なら・・・今頃・・・」と心の隅に、果たせなかった思いを閉じ込めながら、気持ちを切り替え新生活の準備をする。

3月は不安と期待の入り混じった月だったのかもしれません。

私の暮らす北カリフォルニア、サンタクララカウンティーは、先日、紫→赤→オレンジに感染予防段階が下がりました。学校は一年ぶりに対面で再開し、街も、教会も、喜びの春に向けて急に忙しくなりました。今は一年を振り返る余裕もなく、新しい変化に対応するため、心も体も必死に活動中です。

10年程前、ダラス・ウィラードのこの言葉に出逢いました。

The most important thing in your life is not what you do; its who you become.
Dallas Willard
あなたの人生でいちばん大切なことは、何をするかではなく、どんな人になるかです。

ダラス・ウィラード

でも、それからの私の10年間は、皮肉なことに半分の期間を「何を成し遂げるか」や「どうしたら相応しくなれるのか」を追い求めていた気がします。

「何を成し遂げるか?」そんな大それたことを、願っていたつもりもありません。小さいながらも、自分の身の丈にあった、許される範囲であろう願いや、計画や、理想を描いていただけだと思うのです。でもある時、強制終了という形で立ち止まることができたことで「自分はいったい、どんな人になりたいのだろう?」と、再びこの言葉を思い返すようになりました。

神さまはきっと、私の小さな願いや計画より遥かに壮大な「神さまプラン」を遂行されようと、「私の人生で最も大切なこと」を学ぶ旅へと、導いてくださったのだと思います。

 

新学期、新生活、新しい土地で、新しい制服やスーツを新調する。〇〇大学、〇〇会社の社員バッチ(今はIDカードや社名グッズ?)を頂き、家庭では妻、夫、新学期を迎える親というそれぞれに与えられた制服を着て、気持ちを新たにスタートします。

それからは、相応しい自分になる為に、周りや先輩に倣い、自分を変えようと努力する。新しい制服を着たからには早く認められ、居場所を確保し、安心したいので、自分のペースや馴染んでいくプロセスを飛ばしてでも、必死に頑張るのかもしれません。

 

数ヶ月前、Spiritual Directon(霊的同伴)で、私のSD(Spiritual Director 霊的同伴者)から、「そのユニフォームは、自分で着たの?それとも着せられたの?」と質問されたことがありました。多少なりとも、幾つかの制服を上手に着替えながら、私なりに着こなしていると思っていました。これまでの私は、その制服のおかげで恵みや特権を頂き、誇らしく思う時もあれば、傷つき孤独になり、痛む事もありました。その事に少しフォーカスした時、その制服がだいぶボロボロになっていた事に気づきました。けれども、それを恥ずかしいとか、嫌だという感情はありませんでした。むしろ、年月を重ねて価値を増すヴィンテージのように、「自分らしい」のではないかとさえ思ったほどです。

 

次に目を閉じた時、神さまの温かい眼差しと、イエスさまの御手が、まるで私に差し伸べられているようで、その手を握ってみようとする自分を、思い浮かべました。

すると

「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

マルコ1:11の言葉が、心に浮かんできて、それからの数ヶ月は、何度もその言葉を思い巡らしているうちに、あれだけ執着していた「自分らしさ」や「自分の役割」「存在価値」を探すことから、少しづつですが解き放たれていくように思えました。

 

これまでWhat if..と、もしもの事ばかり考えてしまう自分が、

たとえ

この制服が、なくなったとしても

自分で着たのか?着せられたのか?が、わからなくても

何が自分らしいのか?を、見つけられなくても

さほど大変なことではないと、思うようになりました。

私が「神に愛されている私」であることを、知ることができた喜びに代わるものなどないと思えたからです。

イエスさまが、ペテロに出逢った時、このように言われました。

「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」マルコ1:17

Follow Me, I will have you become fishers of people.

 これは、私の献身の御言葉なのですが、長い間、この御言葉で献身したということに、必死にしがみついていた自分がいました。きっとそれ以外に、自分の価値や、何か成し遂げたこと、誇れるものはないと、思っていたからかもしれません。

ペテロも、イエスさまの御言葉と弟子とされたこと以外に、制服や社員ID、合格通知やビザも与えられていないのです。だから私たちは、時々不安になって、自分でIDを手に入れようとするのかもしれません。

ある人にとっては、

・立派な弟子、クリスチャンと認められること

・有能な上司や部下であること

・完璧に家事や育児をこなす主婦であること

・誰とでも仲良く付き合える性格であること

・伝道したら誰でも救われる一本釣り名人

・毎回ヒットが打てる説教者

・どんなニーズにも応えられる愛の人

・頼られ信頼される人格者

・海よりも深く広い優しさと度量を持つ人

 

願わくは、どのIDも欲しいけれど、おかげで重くて身動きが取れず、歩けなくなってしまいそうです。

 

ペテロがイエスさまから言われた言葉は、

「ついて来なさい」「〜にしてあげよう」それだけでした。

それは、イエスさまによってでしか成しえない、オリジナルな存在に、ならせてくださるお約束でもあったのです。

最初から、私のDoingで達成するのでも、私らしさのBeingに固執する必要もなかった。ただ、私と共に生きてくださる方との旅路を、喜び楽しみながら歩むために、主が「ついて来なさい」とお声をかけてくださったのでした。

立ち止まってからは、これまで義務や修行のように読んでいた聖書の読み方を辞めるようになりました。その代わり、聖書を読むことで、私の魂に語りかけてくださる方と、深い交わりの中に生きることを実感したい。毎日、そのような喜びに生きていきたいと、願うようになりました。

 

私にとって、その助けとなったのは、長い間、中村佐知さんから学ばせて頂いた、黙想やレクチオ・ディビナであったり、霊性のためのエクササイズや観想的リトリートへの参加でした。それから気づかないうちに「本当の自分とは?」「どういう自分が、自分らしいのだろう?」という問いへの執着が、薄れていったように思うのです。

神と共に過ごす豊かな時間を、喜び楽しもうと願うと、あれもこれも欲しいと思っていた身分証明やタイトルに、関心がなくなっていく気がします。そればかりか、神さまは日々変わっていく新しい自分(魂?)に気づかせてくださり、心が自由になっていきました。そして、これまでの3カ国、住む場所(国、地域)や所属(学校、会社、団体、居場所)によって毎回変わる制服に、相応しくなり、なかなか適応できなくても、「神に愛されている私」としてのアイデンティティーは変わらないことを、実感できるようになりました

「どんな人になりたいか」という問いも、皆が同じようになるのではなく、それぞれのうちにキリストが形造られていったら、このPhygital Churchの時代であっても、きっと教会は素晴らしい神の宮になっていきますね。時には静まって、時には奉仕を通して、それぞれが、自分を愛する子としてくださる方との、深い交わりの中に生きることを喜んでいく。私と共に旅をし、日々贖い、造り続けてくださるキリストのお言葉に、いつも耳を傾け、共に喜び楽しんでいきたいですね。

 

4月からの新しい頁をめくるにあたって、不安、疲れ、焦り、緊張、期待、喜びと様々な感情に揺れる魂に、5つのイエスさまの言葉(マタイ14章)を味わうことを、ご紹介させてください。

 

  • 🌿Take Heart        しっかりするのだ
  • 🌿It is I          わたしだ
  • 🌿Do not be afraid    おそれることはない
  • 🌿Come       来なさい
  • 🌿Why did you doubt?   なぜ疑うのか?

 

今日の自分には、この中のどのみ言葉が、心に響いてくるでしょうか?

新しい月も、私の心に寄り添い、御言葉をかけてくださる方との交わりを、何よりも大切にしていきたいですね。🌿

💐🐣Happy Easter🐇💐

BBWITメンタリングセミナーの証

与えられた兄弟姉妹の繋がりの中にいる恵み
瀬戸亜也子

BBWIT20で興味ある人が多かったトピックである「メンタリング」についてのフォローアップのオンラインセミナーを開催してくれました。

事前に、2つの質問の宿題がありました。
① 自分がクリスチャンとして整えられるために誰かに関わってもらった経験があるか
② 他の人がクリスチャンとして整えられるために関わった経験があるか

自分自身で事前に考え、またセミナーの中でもその宿題をシェアしました。

「メンター」「メンティー」など関係性の名前がついていなくても、それぞれが整え・整えられる、励まし合う関係を経験していました。関係性に名前がついていなくても、同じような関係が既に与えられていると気付きました。

正式な名前が付いていないと、自分にはそういったものがないと思ってしまうこともあります。相手から認められないと、相手を励まし支えたい思いがあると堂々とできない部分もあります。ですが、関係性の名前の有無にかかわらず、神様の家族の中で支え合い、励まし教え合う、そんな恵みの関係が自分にも与えられていることを気付き認めることは大切だと思いました。

実際にメンタリングをする側・受ける側の両者の経験のある方からパネルディスカッション形式でいろいろお話を聞くこともできました。

印象的で、自分でもしていきたいと思ったのは、「そのメンタリングの目的が何なのか最初に探り、明確にしておくこと」でした。確かに、そういうことって意識しないと考えないことでした。

「自分を変えたい(神様に変えてもらいたい)」「イエス様のことをもっと知りたい」「自分をもっと知りたい」など、自分がしてもらう時も、メンターとなれた時も、忘れないようにしたいです。

メンターの役割をしている方も、その方たちがその役割を始めたのは、自分の信仰に自信が持てたからとか、誰かに認められたからではありませんでした。信仰についての質問を受ける機会が増えた時期だったり、相手からメンタリングをお願いされたことがきっかけだったりと、自分の準備ができたからとかではなく、コーリングのようにその役割が与えられたようでした。みなさん自身も自分がまだ成長させられている立場だと思いながら、共に成長するという心を持ちメンターとして働かれていました。

互いに励まし合っていくことは、神様から私たちに勧められていることの1つでもあります。聖書には1度だけでなく、何度もそのことが書かれています。

関係性に名前があるとか、誰かに認められているとかでなく、神様が私たちに望まれていることを行動にし、神様が私たちの心と働きを見てくださっていることを考えながら、自分にできることをしていきたいと思わされました。

学びの多かったセミナーの機会に感謝します。

ありがとうございました。

EC20 Beyond Workshop 主事’s pick!! 第2弾

EC20Beyond Workshop 主事’s pick!! 第2弾。
「これいい!おすすめ!」と主事が独断と偏見で選んだセミナービデオをご紹介しちゃいます!第2弾は、後藤満喜主事のピック。
じゃん!
『パンデミックと信仰 』by 山崎ランサム和彦師
「新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの世界を一変させてしまいました。この危機の中、信仰者としてどう歩 むべきか、聖書から考えます。

Scroll to top