あかりん月報―8月号―

大学三年生の夏を謳歌しているあかりんです。

最近は、教団のオンラインキャンプ、カウンセラー同士のキャンプ、そして、GiFTの参加で、心身ともに癒されて、励まされた日々を送っていました。

特に、初の対面でのGiFTで、賛美し、祈り、メッセージを聞き、分かち合いをした中で、いろんな思いが込みあげてきて、DKの「イエスが愛したように」の賛美に思わず涙してしまいました。改めて自分は神様にすごく愛されているんだな、感謝だな、神様最高だなと感じることができ、すごく素敵な気持ちで満たされました♡

 

さて、そんな今月号は、テーマ:「クリスチャンになったよ編」です。

私がどのように神様に出会い、洗礼に導かれたのかをお話したいと思います。

 

私は、宣教師の両親のもと、クリスチャンホームで生まれ育ちました。日曜日の礼拝参加はもちろん、平日の祈祷会も参加するのが当たり前の環境にいました。周りの友達が日曜日遊びに行くことに羨ましいと思ったり、なんで私は日曜日どこにも行けないのだろうと、小さいながらに複雑な気持ちで、でも礼拝に参加することがルーティンとしてあったので、その気持ちも薄れていきました。

 

そんなあるとき、転機が訪れたのです。四年に一度、宣教地での活動等の報告のために夏休みの期間日本に帰ることがあり、2010年の夏に一時帰国しました。この期間に大人の集会があり、初めてCSキャンプに参加しました。そこで話されたメッセージの中で、私の心には罪があるということ、その罪をイエス様が全部背負って十字架で死んで下さったことを知り、確信し、牧師先生と悔い改めの祈りをし、信仰に導かれました。そして、台湾に帰国し、翌年のペンテコステの日に洗礼を受けました。その時に与えられた聖句が、「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。コリント人への手紙 第二 5章17節」です。

 

クリスチャンになってからの日々は、今までと変わることがあまりなく、教会であかりちゃんからあかり姉と変わったりで、マインドとしては変化が見られませんでした。そして、その日々が長く続き、信仰としても神様の存在を、祈りを通してでしか体感できなかったり、神様の存在を疑うようになってしまいました。

楽しいことばかりではない、クリスチャンがぶつかる壁にことごとくぶつかることが増える中で、来月号では、「クリスチャン再出発編」をお届けします。

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