証:砂村真由
私は2017年の年末にアメリカで救われました。JCFN主催のEquipper Conferenceという集会へ求道者(Seeker)として参加したときのことでした。今日は、信仰告白から今までの約5年間の歩みについて証していきます。この歩みの中で、神様は私を愛してくださっていることを知りました。これまで決して順調だったわけではありません。神様は、試練を通して、愛と恵み深い神であることを私に示してくれました。4つのステップを通して神の愛を知ることができたので、紹介します。
- 試練が与えられました
- 罪や弱さに気づかされました
- 一人では何もできないことを知り、主に委ね、神の力により頼みました
- 神による変化、導きが与えられました
では、これから具体的に与えられた3つの試練を通して説明していきます。
まず一つ目は、2018年4月に帰国してから半年後にうつ状態と診断されたことです。当時大学4年生の私は、卒業に向けて就職活動、教育実習、卒業論文を抱えてとても忙しかったです。神様を第一にすると信仰告白したことも忘れ、日本で暮らすうちにだんだん自分中心の考えになってきました。自分のやりたいことばかり優先していくうちに、どんどん体と心がすり減り、うつ状態にまでなってしまいました。この試練を通して、なんでも自分で決める自己中心的な罪があることを知りました。うつ状態では起きることも難しくなりました。だからこそ、神様なしでは何もできない無力な自分に直面しました。主に委ねるために、聖書を読むことと祈ることを習慣づけました。心に留まった御言葉を紙に書いて部屋やトイレに飾って自然に目につくよう工夫しました。ノートを買って、祈りを書いてイエス様と対話することを心がけました。神の前にへりくだることを通して、主は休学して1年卒業を延ばすことを示されました。そして、聖書を用いたBiblical Counseling、教会、なにより受洗へと導いてくださいました。神様は私を弱めることで、神様のもとへ引き戻してくださいました。だからこそ、洗礼を受けたいという状態へと整えてくださったのです。
次の試練は、家族からの反対でした。2019年2月3日に受洗しました。前々から家族に受洗したいことを伝えていましたが、結局理解を得られないまま当日を迎えました。お祝いの花やカードを抱えて帰宅した私を見て、家族は動揺し怒り出しました。“家族を裏切った、許可していないのにやった”と言われ、ノートパソコンとスマートフォンを取り上げられました。“学費ももう払わない、教会に行ってはダメ“と言われました。この試練を通して、御言葉を信頼して、御言葉によって祈ることを学びました。マタイによる福音書6章33節”神の国とその義を第一に求めなさい。“を何度も口にして祈りました。大学のクリスチャン(KGK)や大学のパソコンからアクセスしたFacebookを通してつながった兄弟姉妹に祈ってもらいました。試練は続き、5日には、母がもらったお祝いのカードを取り上げ、私の目の前で破り捨てました。祈りが聞かれ、翌日6日に父から教会に行ってもよいと言われ、パソコンとスマートフォンも返されました。それから、”なぜ洗礼を受けたのか、クリスチャンになったのか家族に説明する責任がある。毎週月曜日に時間をとるから話しなさい“と言われました。つまり、聖書を一緒に読み、クリスチャンになってどう変わったのか証しする機会が与えられたのです。定期的な学びの会はそれほど長くは続かなかったのですが、特に母に対して聖書の教え、どう神様が私を変えられたのか証しする機会が日常的に与えられています。最近母の近くにクリスチャンが与えられました。そして、父は”赦すことが大事だ“と語り、かたくなにキリスト教の話を拒む妹の前で”許可の許すとキリスト教の赦す“違いについて話すことができました。まだ誰も救われてはいませんが、確実に神様は私の家族に働いてくださっています。
更に3つ目の試練は、退職です。私は2019年夏に就職活動し、卒業論文に取り組み、やっとの思いで2020年3月に大学を卒業しました。その時期は、皆さんご存じの通り新型コロナウイルスの感染が広がり始めた時期でした。卒業式は中止になり、入社式もオンラインでした。IT企業に就職した私は、毎日自宅で研修を受けていました。会社の人と対面で会う機会はなく、相談もなかなかできず、知らず知らずのうちに追い詰められていました。ある日、始業時にパソコンを開いてみると、涙が止まらなくなって休むこと、休職することになりました。休んで体調がよくなり、医師からも復職診断書をもらえました。しかし、人事は産業医面談や私が所属していた部署の上司と話すことをゆるさず、“砂村さんは質問しすぎで、人に依存しているからよくない”と説教受け、退職するよう促されました。この試練を通して、私は“就職すればなんとかなるだろう、どこかで私もう大丈夫”とこの世的な平安を求めていたことに気づきました。会社の人から認められたいと思い、与えられた研修以外に、ビジネスマナーの研修を受け、退勤後も部屋にこもってITの資格勉強をしていました。退職したことで私は学校にも会社にも所属していない状況になり、初めて所属欲求がとても強いことを知りました。学校や職場というこの世のものに所属したいという欲求はまさに偶像崇拝であると気づきました。20年の夏は転職活動していましたが、仕事の経験も浅く、コロナ禍の転職活動は全くうまくいきませんでした。もうどうしようもなくなり、公園で散歩中“どうしたらいいですか?!”と神様に祈り求めたとき、本屋へ行くように示されました。本屋の本棚全て見たら何かヒントが得られるのかなと思い、見たところ“社会福祉士”という資格が目に入りました。身体的、精神的にハンディキャップがある人の相談支援に従事するソーシャルワーカーと知り、これは自分らしさ、うつや体調崩して退職した自分の経験を活かせる資格なのではと思いました。主は大学の先輩でこの資格を取るために専門学校に入った方へと導かれました。2021年4月から1年間学び、今年社会福祉士を受験し資格を取得しました。今は知的障害のある利用者が住むグループホームで生活支援する仕事をしています。毎日人に会って、様子観察して、寄り添う仕事にやりがいを感じています。日勤と夜勤を交互に繰り返す仕事ですが、今年4月から働き始め一度も仕事を休むことなく働くことができています。本当に感謝です。
最後に、よく心に留めていた御言葉を紹介します。詩編119:71“苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました”。それから、コリント人への手紙第二12:9“「わたしの恵みはあなたに十分である。私の力は弱さのうちに完全に現れるからである」”です。これからも必ず試練は与えられます。自分の弱さをもっともっと知ることになるでしょう。そんな時こそ、主により頼み、弱さを大いに誇り、主が働いてくださることを心より求めます。証は以上になります。ご清聴ありがとうございました。