セントラルカンファレンス23証 ② Samuel Kim

私の名前はサムエル・キムです。ミネソタ州の大学を2021年に卒業しました。幼い頃、私の地元にいる日本人をほんのひと握りしか知りませんでした。しかし、日本語と日本文化に興味を持つようになったのは、幼少期から多くの種を蒔かれていたからです。仕事としてミニストリーをしているわけではありませんが、日本人に福音を伝え、日本語を学ぶことに、かなりの時間とエネルギーを費やしてきました。コロナが始まって以来、私は対面でもオンラインでも日本人に福音を伝えることに焦点を当てた様々なミニストリーグループに参加し、2021年の夏からはミネアポリスにある日本人教会に定期的に通っています。CC23では、私の個人的な伝道活動が無駄ではないことを確認することができました。

CCは、キリストに信仰を置く日本人帰国者を励ますという統一された目的のために、様々な背景を持つ人々が集まります。とても特別な集まりだと思います。CC23では、神の御言葉と信仰があらゆる形で宣べ伝えられ、交わりの中で信仰が強められる集会に参加できたことは、私にとって祝福でした。賛美、スピーチ、証の分かち合い、祈り、他の人への思いやりなど、様々な賜物に恵まれた人々に出会い、励まされ、驚かされました。また、3日間のプログラムのあらゆる部分に浸透していた強い共同体意識と神の愛に感謝でした。神様の愛が、霊的な成長に理想的な環境を作り出すのだということを見ることができました。

CC23のおかげで、私は日本人に対する個人的な召命を確認することができました。それを「賜物」とまでは言わないかもしれませんが、私が非常に力を入れ、献身している分野のひとつが日本語学習です。コリント人への手紙第一9章22節〜23節にある使徒パウロの言葉からインスピレーションを受けています。「22弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。 23福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」 この聖句を通して、私は日本人や日本文化に対する先入観を捨て、できる限りネイティブの日本人や宣教師に囲まれ環境に身を置き、日本語や日本文化について学ぶ工夫をするようになりました。CC23の日本語スモールグループは、このような学びの場のひとつとなりました。

CC23の参加申込フォームを記入する際、英語と日本語のどちらのスモールグループに入りたいかという質問項目があったことをなんとなく覚えています。私は「どちらでも」の選択肢を選び、スモールグループの言語は導きに委ねました。驚いたことに、CC23初日、全体集会の後の第一回目のスモールグループで、私以外全員日本人でした。嬉しいのと同時に緊張しました。日本に住んだこともなく、日本語での交流は継続的なものではなかったので、3日間、日本語でのスモールグループを乗り切るには、神の恵みと憐れみに頼らなければならないと思いました。私のスモールグループでの経験から学んだことの一つは、神の恵みは豊かであり、神はその恵みを補うようなパフォーマンスを私に期待してはいないということです。実際、そんなことを私にできるはずがないのです。親切なスモールグループのメンバーたちは、私が助けを必要としていることに気付くと、ディスカッションに私が入れるように話すペースを落としてくれたりしました。また、用意されていたディスカッションの質問について、自分の考えを口に出して話すことで、日本語を練習する機会を与えてくれたことにも感謝しています。スモールグループの人たちは、私の流暢ではない日本語を聞くのはどんな感じだったのだろうか、と今になって思います。ともあれ、日本語を話す練習をする機会をもっと増やし、特に未信者の人たちと信仰を分かち合い、キリストにある日本人の兄弟姉妹の励ましとなれることを願います。そして、EC23を楽しみにしています。

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