Radical Humility、イエス様の十字架に触れて、まさに信仰の不思議、死ぬのに生き返るという霊的にリフレッシュしたWITでした。昨年は、人生で初の英語での生活・勉強、初のアメリカという慣れない環境に加え、南部ノースカロライナでの歴史的・神学的葛藤も加わり、何度も泣いた苦労の日々でした。疲れて、一生、日陰でひっそり生きていきたいと思っていたので、リーダー訓練会なるWITになんて行く気持ちが起こりませんでした。でも、みことばへの渇きを感じていたので、この渇きを満たされるために、あとはせっかくの夏休みだからという気持ちで参加しました。敵意の真中で私たち人間をembraceしてくださったイエス様に触れ、私は大変であったとはいえ、この一年、難しい関係性の中で敵意を心の内側に抱いて人を裁くことで、自分のinsecureな部分を守っていた自分が照らされ、でも、包まれました。今置かれている場所で、主に従って生きる先に、神の栄光を表すこと、他の人の祝福のためになることがあることを、久しぶりに願うことができました。尊い祈りと献金のサポートに感謝をします。
家探し
暑さ厳しいですねー!アトランタも暑いです。
でも、この夏は冷や汗をかきました。
原因は 引越し
日本で賃貸物件を探すには、
「エリア」「家賃」「間取り」を考えておけば、
不動産スタッフにあっちこっち車で連れていってもらって、
あーでもない こーでもないと楽しめた思い出があるんですよね。
アメリカの場合、賃貸物件はオンラインで探すのが一般的みたいです。
我が家は昨年の渡米から1年間、
アメリカ人男性2人と同居してきました。
そのうち1人が家を引っ越すことになり、
家賃や諸々の生活費も全て折半して成り立っていたので、
1人欠けるのは大きな変化になります。
同居はいつも減った人数分を補充する必要があって、
状況に左右されちゃうのです。
さらには長女はすでに高校生。
そろそろ異性との同居も終わりかなと思っていました。
そこで決めたわけです!引越し!
そこからですよ、、、まさかこんなに大変だとは。。。
ジョージア州では
「月の収入が家賃3ヶ月分以上」である証明の提出を求められます。
コロナ以降に不動産関係が超高騰して、ハードルが高い高い(ーー;)
さらには、ハッキリ家賃に表れるのが「治安」「学区」。
住居探しは 超難航。
あまりにも見つからないもんで、
オンラインでの検索は、気がつけばどんどん遠く郊外の
大自然エリアまで及んでしまって、
ここにはほとんど人もいないでしょ、、、
という場所まで探してしまったものです。
でもね、追い込まれた時ってそういうもんです。
そんなエリアに、ひとつ心に留まる家がでました。
現地をチェックし、治安も良さげ(田舎だから)、早速申し込みフォームへの入力開始!
画面に「あなたが最初の申し込み者」の表示!!キター!
あとは申し込みをオンラインで提出して、、、と
、、、突然物件が消えた?!
問い合わせたら、タッチの差で他の人が契約してしまったと。
5ヶ月も探して、「ここしかない!」という場所でした。
ガーン。。。いやぁ、、暗い日でしたよ。
5ヶ月探して、ようやく現れた一件だったのに。
次の日、突然
アトランタで牧会している先生から電話があり、
なんと、「知り合いの物件がまもなく空きそうだ」と。
探し続けても出てこなかったエリアでした。
物件を見ずに、
「そこお願いします!」と答えました。
もし直前の物件で契約をしていたら
無かった話でした。それは今までの中でも最も良い場所でした。
一度失った時は真っ暗でした。
この展開を先に知っていればとも思いましたが、
神様は思いもしない時に、思いもしない場所を突然開くと思わされました。
よく忘れがちですが、
神様って本当に道なき場所に道を開かれますよね!
C-WITで受けた恵み
こんにちは。御名を賛美します。
四半世紀近くシアトルに住んでいる永田智子です。
2022年の3月、初めて行われたZoom C-WITに参加しました。その時の私の状況は、仕事や学業に追われて、生活の基本であるデボーションについても「時間がないから」と自分の中で後回しにしがちでした。そして目の前の締切があるものと仕事をする時間を優先させていました。2022年の2月、無事に学校が終わってホッとしていましたが、なかなかデボーションに心が向かわない日々が続いていました。そのようなときに神様の前に静まるという最初のC-WITに参加しました。C-WITは大人のクリスチャンのリーダーシップに関する勉強会なのかなと思いつつ参加しました。私も少しずつ仕事場でリーダーシップの役割に関わることが多くなってなったから、クリスチャンとしてどのようにリーダーシップを発揮がしたらいいのか、聖書からの紐解きがあるのかもと興味を持って参加してみました。すると私が勝手に考えていた内容とは全く違って、1回目は静かなときに語られる神様と、そしてContemplative Prayerのことを学び、実践するときでした。静かに神様のことを自分の呼吸と共に感じながら、神様を呼び求めることは新鮮で、今の生活でも心配なことが起こったときは特に、このように短く自分の呼吸を意識しながら神様の平安をいただきながら歩んでいます。
そして今年の春のには日常生活のルーティンにいる神様、夏には試練が起こったときの神様の導きの証を分かち合ってもらいました。その後にスモールグループになって、それぞれのメンバーと神様から語られたことを話したときに、それぞれの置かれた状況は全く違うけれど、その時その時に確実に神様が不思議で私の思いもよらない方法で、皆さんに応答してくださっているということがわかりました。
この3回のCWITで身体的に又は精神的につらい状況で参加してくださった方々から神様の日々の歩みをシェアしていただいことで、私の中で神様はいかなる時も私たち一人ひとりと共にいてくださることを深く心で受け取ることができました。
2023年現在、やはり仕事に追われているのが現状です。そして日本のほうで身体的に注意が必要な家族が出てきました。なので毎日オンラインでメッセージをしたり、画面を見ながら話したりする毎日が続いています。まだ信仰告白をしていない家族なのですが、今の状況になってから神様の話に少しずつ耳を傾けて聞いてくれるようになっています。そしてお祈りも一緒にしていて、日々の生活が守られるようにお祈りも頻繁にしています。初めて一緒にお祈りをしたときには、私には勇気が必要でした。それが今では普通にお祈りができるようになっています。このように私の日々の生活の中でも確実にイエス様が私と共にくださって、聖霊様の導きで背中を押してもらいながら前に進んでいます。まさに2回目のC-WITで尾関祐子さんがシェアしてくださった、日常のルーティンをしているときに神様の臨在があるというように、私もトイレ掃除をしているときに心が静まり、神様の存在の大きさを感じます。その神様のことをもっと知りたいと静かに感じて、イエス様は私をどのように導いてくださるのか知りたくてデボーションをしたくなり、聖書を読んでお祈りをする日々です。眠くてギリギリまで寝ていて、To-Do listに追われてデボーションがすっ飛んでしまう日もしばしばです。日々の生活の中では、不安になったり心配で心が押しつぶされそうなときもしばしばです。特に日本の家族のことでは、距離があるがゆえにすぐには手が出せず、神様にお委ねするしかないときもしばしばです。でも神様は、その時その時に乗り越えられる方法を、私の予想を超える方法で用意してくださっています。
C-WITに参加して、現在も学んでいることは、
「日々の生活の中に聖なる神様が共にいてくださる、それが静かで穏やかなときでも怒涛のような日でも、神様の前に静まって、神様の声を聴く。このような関係ができるのはイエス様が十字架にかかって、私の罪を赦してくださったいるから」
ということです。医療関係の仕事柄、昨日まで普通に生活をしていた方が、突然に亡くなったり、又は身体の状況が変わって生活が全く変わってしまうということを目の当たりにします。だからこそ、毎日の生活という奇跡と恵みの中で聖なる神様をお迎えして過ごすことができることが感謝です。