[ec23] ぷれっぷデボーション①神様も惜しんでおられる

みなさんこんにちは!EC準備祈祷会、ぷれっぷでは毎回大竹信和神学生がショートメッセージをしてくださっていますが、それがとてもいい!!

ので、ブログでも折々にシェアさせていただきたいと思います。

恵まれた方、またぷれっぷで共に心を合わせてECのために祈りたい方、次回は11月25日(土)8am(EST), 7am(CST), 6am(MST), 5am(PST), 10pm(JPN)です!

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皆さんは何かを失った時、それを惜しんだ経験をお持ちでしょうか?失って初めてそれが自分にとってどんなに大切であったかに気づいた、という苦い経験が、きっと誰しもが一度はおありなのだと思います。痛みを伴うかもしれませんが、もし可能であれば今少し、その時の気持ちを思い出してみて頂きたいのです。

 

なぜならその経験は、神さまもよくご存知の痛みでありまして、神さまの愛を痛烈に知る手がかりとさえなるからです。

 

どういうことかと申しますと、神さまが私たちにとって救い主であってくださるのは、まさに神さまが「失われている存在を惜しまずにはいられない神」だからなのです。私たちが何かを失う痛みをよく知っているならば、それだけ神さまのおこころも知るよしがあるのです。

 

そして、その痛みを深く知っている人は、神さまの望んでおられる働きのために奉仕する原動力を秘めているのです。

 

自己紹介が遅れましたが、私はこの度ECの祈りのアシスタントディレクターとしてリクルートを受けました、神学生の大竹信和と申します。

 

実は今までECのことを知りませんでしたし、何もかも初めての状態で、友だちの西村日和姉を通して奉仕者として招かれました。

 

そしてしかも、こうしてぷれっぷでのみことばのメッセージを担当することになりました。正直、何を語って良いか分からない中、準備の期間を過ごして参りました。

 

ですが3日前に、私はある夢を見て夜中に目を覚ましました。それは、私が最近経験した、つらい喪失体験を思い出すような夢でした。

 

布団から飛び起きて、暗い部屋の中、思い出してしまった喪失体験に心痛めながら、「どうしてなのですか、主よ」と、大切なものを失って以来、口癖のようになっていた祈りをポツリとつぶやきました。

 

その時、「あなたは惜しんでいるのか」という御声が頭に響きました。

 

私はすぐにヨナ書を開きました。そこには、不機嫌なヨナの機嫌を直そうと、神さまが生やされた一本のトウゴマが、枯れてしまって、またもや怒っているヨナの姿が描かれていました。

 

私にはこのヨナの気持ちがよく分かりました。「いったい何をしてくれるんだ神さまは」という、失った悲しさからくる怒りと、疑惑がそこにありました。こんな経験をさせられるのはいったい何のためなのだと。

 

そんなヨナに主は語りかけるのでした。

 

ヨナ書 4章10~11節

“主は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」”

 

ヨナがトウゴマを失った悲しみ、それを惜しむ気持ちを経験したのは、何としてでもニネベの人たちを救わなくてはならないという神さまの惜しむ気持ちが分かる者となるためでした。

 

私は「どうしてこんな夢を見せたのですか」と思っていたその夜に、神さまが日本人の魂を非常に惜しんでおられることを知りました。

 

せっかく海外で福音に触れて、イエスさまを知り、十字架の愛に捉えられて救いに至る信仰を受け取った魂が、日本に帰国すると、そのギャップで教会から離れてしまう人も多いという現実。その現実に、神さまは心を痛めておられる。「どうして」と呼びかけずにはいられないほど惜しんでおられる。

 

その苦しみを、神さまは私にも分かって欲しかった。なぜなら、帰国者のために仕えるミニストリーにこの年末、関わる者として、熱意をもってその奉仕にあたるため。

 

海外邦人宣教団体の働きに、主は熱意を持っておられます。Equipper Conferenceには主のみこころがあります。それは、これから帰国しようとする日本人の魂を、失うなんて惜しまずにはおられないほど愛しておられる神さまの、熱い想いです。

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