みなさーん、こんにちは!
いよいよECが近づいてきましたね!ZOOMでやっているECのための祈り会、ぷれっぷのデボーショナルメッセージ第2弾です!
次回のぷれっぷは、次回は11月25日(土)8am(EST), 7am(CST), 6am(MST), 5am(PST), 10pm(JPN)です!
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前回はヨナ書から「神さまも惜しんでおられる」というメッセージをしました。
ヨナが、トウゴマが枯れてしまった時に悔しんだ、惜しんだように、私たちも何かを失った時に、それがいかに大切なものだったのかに気づいて、惜しむことがあります。でもその経験は、神さまがニネベの人たちを、また日本人の魂をも、惜しんでおられることを、分かってもらうためでした。それほどまでに、神さまは日本に帰国する方々が教会から離れてしまうことがあるという現実に、心を痛めておられ、その破れ口に立つ者に、私たちになって欲しいのです。
それが前回のメッセージでした。なるほど神さまは日本に旅立つ帰国者のために、必要なことを私たちがするように奉仕へ招いておられる。それが分かったところで、次はこんな思いが湧き上がってくるのです。
では私たちに一体、何ができるのだろうか、と。…何ができますか?…海外に来て、日本にはいないような大勢の信仰者たちに出会って、福音に触れ、イエスさまを知った信仰者たち。そんな彼らが、旅人として、また帰国していくその先で、様々なギャップに出会い、教会から離れて行ってしまう。そんな出来事に対して、神さまは惜しんでおられる。そしてその気持ちが私たちにも分からされた。でも一体私たちに何ができるでしょうか。何ができるんでしょうか。
今日お読みした箇所には、旅人のために必要なパンを渡すことができない人物が描かれています。旅人にパンが必要なのに、何もしてやることができない、その人は、ある人の所へ助けを求めに行きます。それは、頼れる友人、しかもおそらく裕福で豊かな富を持っている友人の所でした。
彼にパンを三つ貸してくれと頼むのでした。あの友だちなら出してくれると、彼はすがったのです。彼はこう考えたからです。「私には旅人たちに何もしてやることができない。でも、私には、あの友人に、旅人のために必要なパンを出してもらうようお願いすることはできる。」
皆さん考えてみてください。真夜中に「ピンポーン」ってチャイムを鳴らすことができる友人、何人もいますか。そんなことができるのは、最も仲の良い、一人の友人ですよね。
この譬え話は、弟子たちがイエスさまに「祈りについて教えてください」と尋ねた時に、「主の祈り」を教えられてから、その次に教えられた譬え話です。
イエスさまはこの譬え話の中で、ご自分のことを、豊かな富を持っている、頼れる、唯一の、いつでも助けを求めることができる、あなたの友であると、教えているのです。
その友に、旅人のために必要なパンをあなたが求めなさいと、今日はこの聖書の箇所から語られています。
そういう祈りのことを、「とりなしの祈り」と言います。自分が無力であることを知っている人が献げることのできる、祈りです。
そしてその祈りは、熱心に献げられるべきものであることも、この聖書の箇所は教えています。しつこく祈れ、と。
どうしてイエスさまは、しつこく祈ることを求めておられるのでしょうか。この「しつこさ」と翻訳されたギリシア語は、ἀν•αιδεια(anaideia)という言葉です。英単語でも、最初にunが付く単語は、否定の意味が含まれていますよね。例えば、unbelievableというのは、「信じ・られない」という意味ですよね。この「しつこさ」と訳されたἀν•αιδειαという言葉は、「慎み深く・ない」という意味なのです。
だってパン3つですよ。夜中に扉を「ドンドン」ですよ。大胆に祈れ、おねだり上手になれ、とイエスさまは私たちに教えているんですね。おねだり上手な祈りってどんな祈り?と興味がある方は、ぜひアブラハムやモーセの祈りから学んでください。創世記18章と、出エジプト記33章です。
でも意外にもこの友人は、「もう寝たいから面倒をかけないでくれ」と最初のうちは断るんですねえ。これは譬え話でして、イエスさまがこのような性格ではないことは私たち分かっているのですが、それならこの一度断るくだりは何を教えたいのでしょうかね?
私は思うのです。イエスさまは、私たちが諦めないで信じ続けて祈りの答えが来るのを待っている姿を喜ばれるのだと。どうしてかと言うと、私たちが求め、主が与える、という関係こそが、私たちと神さまとの絆だからです。
男性の方いますか。女性から何かを頼られた時に、お願い事をされた時に、おねだりされた時に、きっとこう答えてしまった経験あるんじゃないでしょうか?「え〜、どうしよっかなー?」って。経験ありませんか。いや、あるでしょ。笑
それは決して意地悪したいという悪い気持ちではなくて、2人の関係性をより親密にしたい想いからくるものですよね。そうです。イエスさまは私たちの信仰を、イエスさまへの信頼を、もっともっと深くするために、祈りにおいて熱心になるよう招かれます。
するとどうでしょうか。この、頼れる友人が与えた物は何でしたか?三つのパンでしたか?いいえ、私たちが願うところ、思うところをはるかに超えて、この友人は「必要なものを何でも」あげてくれるのですね。
これが、私たちが旅人に対して、パンを与える力が無いことに気づかされる必要がある理由です。私たちは旅人たちに何もしてやれることがない時に気づく時に、この、必要なものすべてを与えられる友人に、祈り頼る者へと変えられるのです。
さぁ、帰国者ミニストリーに携わる私たち。とりなし祈る者として仕えて参りましょう。