GRC21参加者の証「イエスの御名によって…御国を広げる祈り」

GRC21参加者の証

「イエスの御名によって…御国を広げる祈り」

堀田悦子

 ハレルヤ!主の御名を賛美致します!日本で一番人口の少ない鳥取県在住の堀田悦子と申します。主がGRC21を通してどのような業を為されたのか証できる機会が与えられたことを感謝し、主に栄光をお返ししたいと思います。

数年前、現在勤めている大学の国際交流センター英語圏担当者というポジションを活かした留学を通して学生に伝道をするビジョンが与えられ、実際に主がカナダの留学地でクリスチャンのホストファミリーを通して学生の心に触れてくださり、福音に興味をもって帰国したばかりの学生をどうサポートしていったらよいのか主に祈っていた時に初めてGRC18に参加しました。

GRC18参加前の私の心は大学職員という立場を考え、学生に伝道していく恐れがありました。しかし、GRC18を通して主は私の心を整えられ、悔い改めへと導かれ、留学を通した学生伝道を行っていく召命を受けました。その召命を受けてから、神の壮大なるご計画によってこの働きに賛同し、一致して祈り、協力してくれる海外の現地の神の家族や、コミュニティ、そして教育機関が北米、ヨーロッパ、オセアニア、アジア各国に与えられ、そして、イエスキリストの名前さえも知らなかった学生たちは、4週間の短期留学から1年間の長期留学まで、それぞれの留学中に主の愛を体験し、留学中に救われるものから、まだ救われていないけど、聖書に興味をもって帰国してくるものが与えられました。それらの学生たちをサポートするため、スモールグループを始めたり、教会に繋がれない学生たちと一緒に礼拝したりとミニストリーを始めました。

GRC18以後、主への毎日の祈りとして、次のGRC21には主によって始まったこの留学伝道の実りである救われた学生達と一緒に参加することでした。しかし私達のスモールグループに繋がった学生たちは日々バイト、ゼミ、課題などで忙しく、学びや礼拝にコミットできないのが一番の祈り課題でした。しかし、イザヤ書55章10節~11節にあるように、雨や雪が天から降ると、そのままで戻らず、必ず地を潤して、そこに命を宿らせ、これまで荒野だったところが緑となって、美しい花々が咲くように、神のことばも決してむなしく帰ってくることはなく、それを聞いた人々の心は、どんなに乾いている不毛の状態であったとしても、神のことばがその心に蒔かれて、緑豊かな心へと変えられると、神のことばにはそのような力があるという約束を見上げ、学生たちに語った福音は、御言葉は、むなしいものに終わらない、必ず、神の時によって、神への愛の豊かな心へと変えられる、それは主の望むことであり、神から出ることばは必ず成就するということを信じ続けて祈っていました。

スモールグループや礼拝に定期的に集えない学生たちにGRC21に参加することを励ますこともチャレンジでしたが、GRC18以後、積まれてきた祈りに主は応えてくださり、卒業したばかりの新社会人となったニュージーランドの帰国者とGRC18直後からサポートを始めたカナダ帰国者の学生と共にGRC21に参加することができました。

GRC21のテーマである「イエス様の御名によって・・・」そのイエス様の御名によって2人の心に主は豊かに語りかけてくださり、また新しい帰国者クリスチャンとの繋がりが与えられ、2人の信仰がこのGRC21を通して成長していることを見ることができました。そして、GRC21以後、なかなか集うことが難しかった状態から喜んで交わりや学びに臨んでいる姿を見ることができています。これは大きな喜びであり、一人一人の霊的成長をイエス様の御名によって祈ってきている証です。それはGRC18で召命を受け、3年後のGRC21で主の御業の実りの魂達と一緒に参加し、御霊の成長を見ることができること、まさにイエス様の御名によって御国を広げるという祈りの証でもあります!

帰国者クリスチャンが帰国してから信仰が孤立することがないように、神と神の家族と繋がり、キリストの似姿へと変えられ、整えられ、遣わされていく、そのサポートをしているJCFNの尊い働きがこれからも守られ、用いられていくことを心からお祈りしています。

絶望から希望へ (EC20 Beyond参加者の証)

川口亮子(JCFN会員宮城県在住)

絶望の中にいました。本当に絶望でした。仕事が忙しく、寝て、起きて、仕事をして、また寝る…そんな日々の繰り返しでした。なんの希望もありませんでした。とにかく一日を終える事に必死でした。夜寝る前は、「このまま明日の朝がこなければいい」とさえ願っていました。今、この文章を書いていてもつらくて涙が出るくらい、希望も喜びもない毎日を送っていました______。

 

私は2000年からカリフォルニアに6年留学していました。それなりに勉強は大変でしたが、クリスチャンの友達もたくさんできて、恵まれた楽しい時間を過ごしていました。帰国後も多少の信仰の浮き沈みはあったものの、クリスチャンの職場で働いていましたし、帰国者クリスチャンの集いに参加していたこともあり、特に教会離れを起こすこともなく、教会でも仕事場でも充実した時間を過ごしていました。

 

私が変わり始めたのは結婚してからです(いや、主人が原因なのではありません、一応)。東日本大震災があり、クリスチャンである主人と長期支援の為に東北の地に住み始めました。被災地に住む人々に福音を伝えるべく、ヒーローにでもなった気分で意気揚々とやってきた私は速攻でコテンパンに打ちのめされました。まず、友達がいない。教会が静か過ぎる(もちろんそれ自体が悪いのではなく、今までの教会とずいぶん違った事に戸惑いました)。右を見ても左を見ても、ほぼご年配の方々。それでも「こんな環境も神様があえて与えて下さったんだ。」とポジティブに捉え、真面目に教会に通い続けていましたが、私の信仰はあっという間に弱くなりました。新しく始めた仕事も忙しくなってきて、だんだん恵みを受けるはずの教会に行っているのに疲れだけを覚えて帰ってきて、教会に行く事の意味が分からなくなりました。「キリスト教」という、そもそもそこからよく分からなくなり、以前のような元気な自分はもうどこかへ行ってしまいました。

 

ふと気が付けば、「被災地の人に伝道しなくちゃ!」という気持ちは完全にゼロになり、逆に被災地の人に土着の宗教を伝道されてました(笑)。しかしその人に打ち勝つ勇気と信仰もなく、ただ頷くだけの私がいました。「私はクリスチャンです」って言ったらどう思われるだろう…という恐れの方が先行していたのだと思います。さすがにこんな自分はヤバいと思い、思い切って他の教会を探す放浪の旅へ出かける事にしました(もちろん主人や子どもたちも一緒です)。家族で毎週のように違う教会へ行きました。でも、「教会が何とかしてくれる」という気持ちで教会へ行っているので、私の心を完全に満たす教会は一つもなく、毎週「何となくどこかの教会へ行く」…という状態が長く続きました(一応現在進行形です)。こんな上から目線の状態ではもちろんメッセージも心に入ってくるはずもなく、クリスチャンの友達ができる事もありませんでした。とにかく教会関係で使う時間は最短に抑え、早く家に帰って仕事をしたり、子どもたちの宿題の為に時間を使いたかったのです。

 

時は2020年12月。仕事が一年で一番忙しい時期に入り、いよいよ私の心は死んでいきました。もう限界でした。その日は教会から疲れて帰ってきた後、知らない間に昼寝をしていて起きたら夕方で寝室が真っ暗になってました。寝てるのか起きてるのか、もう生きてるか死んでるか分からないボンヤリした状態で、現実に戻るのが怖くて暗闇の中で携帯を見つめてました。すると、私の目に飛び込んできたECの案内。しかも今年はまさかのオンライン。カリフォルニアへ行って参加する事は主人や子どもたちを日本に置き去りにしては行けないし、そもそも費用もないし絶対無理だけど、オンラインなら参加できるかもしれない!「変わりたい」「変えて欲しい」「昔のように神様に心から賛美をしたい」と、藁をもすがる気持ちで暗闇の中で参加申込みを決意しました。

 

EC当日の朝。かなり後ろめたい気持ちでした。「めちゃくちゃ熱いクリスチャンがいたらどうしよ~」「完全にアウェイだったらどうしよ~」「昔の私を知ってる人に会ったらどうしよ~(今こんなみすぼらしい心と姿なので)」などど、どうでもいい考えを巡らせながら、恐る恐る参加しました。しかし、私の不安はあっという間に拭い去られ、最初の黒田先生のお話で即、号泣。神様が触れて下さったとしかもう説明がつかないですが、とにかく連日泣きっぱなしでした。そして何よりも、スモールグループでクリスチャンの友達と分かち合いができた事が、刺身包丁のように尖っていた私の心を柔らかくしてくれました。

 

今まで私は神様から離れて、いわゆるこの世的な一般人の生活を体験しました。一生懸命仕事をして、それなりのお給料をもらいました。しかし、子どもたちもいるしお金なんて使えば一瞬でなくなりました(当たり前)。今までこんなに仕事をしてきて、一体私は何を残す事ができただろう…と思った時に、私は何一つ残す事ができませんでした。本当に何も。神様を無視して一生懸命に働いた末に、唯一残ったものは疲労感と絶望感のみでした。神様の前に出た時に、「よく今まで働いてお金を貯めてきたね」と神様は私を褒めるのではなく「忠実なしもべよ。よくやった。」とほめてもらえる為には「信仰と希望と愛」を残す以外に道はないのだと、身をもって体験しました。

 

余談になりますが、以前クリスチャンの団体で働いていた時に、アフリカの孤児の男の子と話す機会がありました。彼は私にこんな事を言いました。「神様を知ってるなら、全てを持ってるのと同じだよ。でも、神様を知らないなら何も持ってないのと同じなんだよ。」と、当時10歳くらいの子に言われ、「んな大げさな~!」と心の中で笑い飛ばした事を思い出しました。しかし、今になって彼の言った事が真実であったと分かります。この言葉が私の心の中に今も迫ってきます。10歳の子に諭された私は、15年の時を経てようやくその真理に気付く事ができたのです。

 

ECに参加してみて、クリスチャンの友達と繋がり、励まし合う事がどれだけ大切な事かがよく分かりました。「こんなに信仰に篤い私だから、一人でも絶対大丈夫!」と思っていた過去の自分を蹴り飛ばしてやりたいです。これからもクリスチャンの友達と(無理やりにでも)繋がり続け、信仰を励まし合い、神様の愛にしがみ続けていきたいと思います。

 

今回私が証を書こうと思ったのは、とにかくECの実行委員の方々やECを作り上げて下さった一人ひとりの方々にお礼が伝えたかったからです。初めてのオンラインのECで様々な困難や試練があったかと思いますが、開催して下さった事を心から感謝しています。EC2020を通して神様と再会した者がここにおります!!!オンラインじゃなかったら絶対参加できませんでした!!本当にありがとうございました!

「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」(Iコリント13:13)

 

 

※EC2020から今に至るまで証を書くのになぜこんなに時間があいたかと言うと、単に仕事が忙しかった事もありますが、自分がイベントで心が高揚してその場だけ盛り上がっていたのかどうか、時間をおいて確かめたかったからです。しかし、今もなお神様への愛がメラメラと燃えたぎっていますので、きっと大丈夫だと思い、神様とみなさんに感謝を込めて書かせて頂きました。

 

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