C-WIT Norcal19の証

ウォング明日香

私はEquipper Conference には3回参加したことがあったのですが、約3か月前に、JCFNからリトリートの案内を受けたときに、C-WITがどんな事をするのかもよく分からないまま、きっと素晴らしいリトリートに違いない、と申し込みをする事にしました。今回は会場が北カリフォルニアで自宅から日帰りで参加できるのも魅力的でした。ところが申し込みの一番最後のところに、会場が毎週自分が通っている教会だとありました。これは非日常どころか、思い切り日常じゃないの~、と少しがっかりしました。でも見方を変えると、家から車で10分の会場だから家族に留守番を頼むには良い事かも、と思い、C-WITに期待して参加しました。

会場に着くと、いつもの教会にJCFNの摂さん、祐子さん、中村佐知さんという豪華メンバーがいらして、もうそれだけで非日常気分になり舞い上がりました。

しかし、話を聞くうちに、これが沈黙のリトリートだという事がわかりました。ランチは誰ともおしゃべりしないで一人で黙々と食べるというのです。その後、午後の数時間も沈黙の中で心を静めて過ごすようにとの事で、私は面食らってしまいました。自分が期待していたECのような熱い賛美、祈り、交わりとは全く異なるものだとわかったからです。

なんだか心細いまま、午前中の佐知さんのメッセージが始まりました。その中で、「このリトリートでそれぞれ期待してきたことがあるでしょうが、それも一旦、横においてください。この場に、まる一日をささげて集まってきただけで、すでに神様は喜ばれるのです。」との言葉に深い感銘を受けました。私には9歳と4歳の息子がいて、通常土曜日は、習い事やその他家の事で大忙しだったからです。このリトリートも主人の助けなくしては、まる一日を過ごすことは難しい事でした。でも飛行機で来られた方や、別の教会から一時間以上運転してこられた方の前では、自分は時間をやりくりしてようやくここに来れたのだ、と言う事すら申し訳ないような気持ちでいました。それに会場である教会のメンバーなのに何もお手伝いもせずに、ただ現れただけなのも、ちょっと申し訳ない気持ちでいました。

でも、佐知さんのお話が終わって、静かに思いをはせるうち、つまらない私の罪悪感すらも、神様に見透かされているような気がしてきました。

同時に、私の頭の中ではいつも「何かしなくてはならない」というスイッチが入っていて、静まる事が全くない事に気づきました。うちには未就学児が家にいて、ほぼいつも一緒にすごしています。私は子供の世話、家の事、時々夫の話し相手(笑)、、で頭の中が休まることがなく、疲弊しているのは明らかだったからです。

そんなわけでしたから、沈黙の中で食べる昼食は、誰にも私の時間を邪魔されず、至福の時でした。いつも人であふれかえっている教会のソーシャルホールがしんと静まり返っていました。不思議な気分でした。おいしいサラダの味をしっかり味わう事が出来たし、周りにいる誰にも気を遣わず、楽しいおしゃべりの話題すら考えず、外の美しい景色をみて、それらをを創られた神様ってすごいなぁ、と考えるだけでした。すると、心に大きな喜びがわいてくるのがわかりました。今までは、神様との対話と言えば、自分ひとりの時間が欲しい、家族の健康、自分の将来へのビジョンなど、神様に心配事をぶつけて、その解決策が与えられることを願うばかりの私でした。でもこのリトリートに来て、その願いもひとまず手放して、自分という小さな存在を神様の前に差し出したら、普段見る景色も、食事の味すらもが違って見えてきました。

昼食後、近くのバラ園に連れて行ってもらいました。一緒に行った方々とも離れて、それぞれ思い思いに過ごしました。美しいバラや、その甘い香り、カリフォルニアの青い空、そこで結婚式をしている人々、よちよち歩く小さい赤ちゃん、など全てが希望に満ちた景色に見えて、また心に喜びがわいてきました。

今回、C-WITに参加できて、本当にうれしかったです。一番の収穫は、普段の慌ただしい生活に戻ってからも、時々、深呼吸して静まること、近くに主が作られた美しいものがあり、自分もその主に愛され、生かされている、という事を確認することができるからです。

帰国者を理解するために(3)〜「どう接すればいいの?」帰国者は宇宙人?その2

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過去記事リンク

はじめに

1. 帰国者ってどんな人?

2. どう接すればいいの?ー「帰国者は宇宙人?」その1

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3. どう接すればいいの? – 「帰国者は宇宙人?」その2

ポイント 2. 海外に行く前の、日本での教会経験は?

自分のことを考えたり、自分と向き合う時間がとれるようになります。外国語の環 境では入ってくる情報量がどうしても少なくなることもあり(日本だと入ってくる情 報をすべて理解できるが、海外だとそうではない)、日本での生活よりも、比較的自 分のペースで生活できます。しかし帰国すると、情報量も増え、それに動かされて しまうことも多いでしょう。さらに、家族・友人・地域・学校や職場等の環境に合わ せて生活しなければならず、「自分の時間」が無くなってしまいます。「忙しさについ ていくので精一杯」と感じる帰国者は少なくありません。〕その戸惑いをまずは受け 止め、日本の忙しさの中でどのようにクリスチャンとして生きていくか、徐々に導い ていく必要があります。

海外で生まれて初めてクリスチャンという人に出会った、友人になった、あるいは初 めて教会に入った、キリスト教と接触があった、といった場合は、日本での教会・キリ スト教経験は皆無であることがわかりますので、そのつもりで導く必要があります。し かし、日本で求道していた、幼い頃教会学校に行ったことがある、学校がミッションス クールで聖書や礼拝に馴染みがある、となりますと、ある程度日本の教会の様子を知っ ていることになりますので、この点の確認は大切です。

 

ポイント 3. 海外でどのように教会に関わっていたか?

現地教会の場合、ゲスト(お客さん)扱いされてきた方が多いかもしれません。人数 が多く、言語の壁がある中で教会活動に携わることは大抵の日本人にとっては大きな ハードルです。よって奉仕に関わった経験がまったくない可能性もあります。 一方、日本語教会・JCFの場合は、ケース 2 のビジネスマン B さんのように、少な い人数で教会を支える必要から、受洗後まもなくから(場合によっては求道中でも)積 極的に奉仕している場合があります。 日本語教会や、日本人クリスチャンが行っている家庭集会やバイブルスタディのよう な交わりで救われた場合は、そのグループ内で活発に奉仕していたことも考えられます。 そのような点も確認されると良いでしょう。

 

ポイント 4. どのような信仰の歩みをしてきたか? 受洗は?

霊的状態の確認に関する質問はもっと早い段階で尋ねるべきだという考えもあるかと 思いますが、特に現地教会の場合は「受洗した」といっても、日本の教会で洗礼準備をし、 教会の会員になるということを教えられて受洗したのとは違うケースがよくありますの で、質問の重要性からするとこれまでの質問の方が意味があるように思います。 日本語教会であれば、日本人牧師が洗礼を受ける際に何らかの学びの機会を持ってい る場合が多いので、どういう準備をしたか、教会について、教会員になることについて どの程度教えられているかを確認すれば良いように思います。

現地教会で受洗した場合は、ケース 1 の A さんのように、「受洗したい」と言う希望者 に洗礼を授ける教会もありますので、どんな準備をしたか、その教会では受洗したクリ スチャンがどのような教会生活をしていたか、を尋ねることが大切です。たとえば、い わゆる「キリスト教国」のイギリスでは、国教会の伝統もあり、洗礼とはおもに幼児洗 礼のことで、日本人がお宮参りする感覚で未信者も子供が赤ちゃんの時に教会で洗礼を 受けさせることが一般的です。洗礼を受けた者はクリスチャン、クリスチャンであれば どこに移り住んでもその「教区」の教会に通うもの、ということで「教会員」の意識は 一般的にはあまりありません。(もちろん、イギリスにもバプテスト教会や単立教会な どはあります。)アメリカや、オーストラリア・ニュージーランドなどではそのような 教区制度はないものの、教会員制度に対する意識はあまりない教会が多く、信仰告白の 祈りをしたら、その日の内に洗礼を授ける教会は決してめずらしくありません。よって、 現地の教会で洗礼を受けた、ということと、日本の教会で洗礼を受けた、ということは 大きな違いがある場合が多々あります。日本の教会では洗礼を受けるイコール教会員と なる、という場合が多いですが、海外の教会では洗礼は純粋にその人の信仰告白を意味 します。

また、稀にではありますが、本人の信仰告白というのも、よく話を聞いてみると、現 地の友人がとてもよくしてくれて、聖書も丁寧に忍耐をもって教えてくれた、信じます かと聞かれて「ノー」と言えなかった、というケースもあります。これは日本人ではな い人たちにはわからないものです。

続く。。。

BBWIT19参加者の証「ビジョンを通して本質に戻ること」

先日、めぐみっくすが報告として書いてくれたBBWIT19について、参加者のおひとりが証を書いてくださいましたので、掲載します。

 


 

ビジョンを通して本質に戻ること
横尾恵美ダーン

今回のBBWITは初めて参加させていただきましたが、この短い時間を通して、「主はすべてをご存知であるお方」ということを体感させられました。「ビジョンにコミット」というテーマを知ってから、参加にあたっての唯一の祈りが「個人的なビジョンが与えられますように」というシンプルなものでした。個人的なビジョンという考え自体が、自己中心的なのではないかという不安もありましたが、BBWITの終わる頃には、その不安も吹き飛ばされた経験が、私のこれからの生き方を変えていったと思います。

一つひとつ丁寧に準備されたプログラムの内容がすべて違う観点から「ビジョン」について教えられたのですが、個人的なビジョンというもの自体、「神様のビジョン」と「ミニストリーのビジョン」がベースにあってこその内容なので、決して自己実現の欲求を満たす自己満足の領域ではないことが最初に分かりました。最後のワークショップで「自分の墓石に書いてもらいたい言葉(自分の生き様)」を書く作業を通して、自分のビジョンが確立されていきました。

そのビジョンは「神様が私を作ってくださった本来の姿を生きる」です。言い訳をして使わずに逃げてきた自分の賜物や、神よりも人を恐れて萎縮していた心に気づかされました。でも、詩篇139:16を通して自分の過去を振り返る時間が与えられ、そこで神様がされることの中には何一つ無駄もないことに気付かされ、今までの人生もこれからの人生も、導いてくださる揺るぎない事実を改めて噛みしめることができました。

もっと具体的なビジョンを想定していただけに、「こんなので良いのか?これは神様を第一にしていることになるのか?」という疑問は当初ありました。しかし、よく考えてみると、とても具体的な生き様がその中に描かれており、このように生きるためにこそ、神との関係を第一にする必要があることに気付かされました。私を創造してくださった方を知らずして、生き方を勝手に編みだすことができないからです。

BBWITが終わってからも実を結んでいることが一つあります。BBWITで学んだIBS(帰納的聖書研究)方法を、現在スモールグループで使っており、ほんの数節の御言葉から驚くべき深みまで行けることに毎週感動を覚えています。同じ横浜スモールグループの姉妹とBBWITの時間を共有できたこともとても感謝なことでした。

主は私が生まれて1日もたたない内に、このBBWITの参加のこともご存知であったこと、そしてそれまでの歩みを何一つ無駄にされなかったことが、神様の大きな愛の現れなのかなと思います。これからの歩みを、与えられたビジョンを心に留めながら、確立して行きたいと願わされます。

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