WIT23の証 第2弾〜木田友子

Radical Humility、イエス様の十字架に触れて、まさに信仰の不思議、死ぬのに生き返るという霊的にリフレッシュしたWITでした。昨年は、人生で初の英語での生活・勉強、初のアメリカという慣れない環境に加え、南部ノースカロライナでの歴史的・神学的葛藤も加わり、何度も泣いた苦労の日々でした。疲れて、一生、日陰でひっそり生きていきたいと思っていたので、リーダー訓練会なるWITになんて行く気持ちが起こりませんでした。でも、みことばへの渇きを感じていたので、この渇きを満たされるために、あとはせっかくの夏休みだからという気持ちで参加しました。敵意の真中で私たち人間をembraceしてくださったイエス様に触れ、私は大変であったとはいえ、この一年、難しい関係性の中で敵意を心の内側に抱いて人を裁くことで、自分のinsecureな部分を守っていた自分が照らされ、でも、包まれました。今置かれている場所で、主に従って生きる先に、神の栄光を表すこと、他の人の祝福のためになることがあることを、久しぶりに願うことができました。尊い祈りと献金のサポートに感謝をします。

C-WITで受けた恵み

こんにちは。御名を賛美します。

四半世紀近くシアトルに住んでいる永田智子です。

2022年の3月、初めて行われたZoom C-WITに参加しました。その時の私の状況は、仕事や学業に追われて、生活の基本であるデボーションについても「時間がないから」と自分の中で後回しにしがちでした。そして目の前の締切があるものと仕事をする時間を優先させていました。2022年の2月、無事に学校が終わってホッとしていましたが、なかなかデボーションに心が向かわない日々が続いていました。そのようなときに神様の前に静まるという最初のC-WITに参加しました。C-WITは大人のクリスチャンのリーダーシップに関する勉強会なのかなと思いつつ参加しました。私も少しずつ仕事場でリーダーシップの役割に関わることが多くなってなったから、クリスチャンとしてどのようにリーダーシップを発揮がしたらいいのか、聖書からの紐解きがあるのかもと興味を持って参加してみました。すると私が勝手に考えていた内容とは全く違って、1回目は静かなときに語られる神様と、そしてContemplative Prayerのことを学び、実践するときでした。静かに神様のことを自分の呼吸と共に感じながら、神様を呼び求めることは新鮮で、今の生活でも心配なことが起こったときは特に、このように短く自分の呼吸を意識しながら神様の平安をいただきながら歩んでいます。

そして今年の春のには日常生活のルーティンにいる神様、夏には試練が起こったときの神様の導きの証を分かち合ってもらいました。その後にスモールグループになって、それぞれのメンバーと神様から語られたことを話したときに、それぞれの置かれた状況は全く違うけれど、その時その時に確実に神様が不思議で私の思いもよらない方法で、皆さんに応答してくださっているということがわかりました。

この3回のCWITで身体的に又は精神的につらい状況で参加してくださった方々から神様の日々の歩みをシェアしていただいことで、私の中で神様はいかなる時も私たち一人ひとりと共にいてくださることを深く心で受け取ることができました。

2023年現在、やはり仕事に追われているのが現状です。そして日本のほうで身体的に注意が必要な家族が出てきました。なので毎日オンラインでメッセージをしたり、画面を見ながら話したりする毎日が続いています。まだ信仰告白をしていない家族なのですが、今の状況になってから神様の話に少しずつ耳を傾けて聞いてくれるようになっています。そしてお祈りも一緒にしていて、日々の生活が守られるようにお祈りも頻繁にしています。初めて一緒にお祈りをしたときには、私には勇気が必要でした。それが今では普通にお祈りができるようになっています。このように私の日々の生活の中でも確実にイエス様が私と共にくださって、聖霊様の導きで背中を押してもらいながら前に進んでいます。まさに2回目のC-WITで尾関祐子さんがシェアしてくださった、日常のルーティンをしているときに神様の臨在があるというように、私もトイレ掃除をしているときに心が静まり、神様の存在の大きさを感じます。その神様のことをもっと知りたいと静かに感じて、イエス様は私をどのように導いてくださるのか知りたくてデボーションをしたくなり、聖書を読んでお祈りをする日々です。眠くてギリギリまで寝ていて、To-Do listに追われてデボーションがすっ飛んでしまう日もしばしばです。日々の生活の中では、不安になったり心配で心が押しつぶされそうなときもしばしばです。特に日本の家族のことでは、距離があるがゆえにすぐには手が出せず、神様にお委ねするしかないときもしばしばです。でも神様は、その時その時に乗り越えられる方法を、私の予想を超える方法で用意してくださっています。

C-WITに参加して、現在も学んでいることは、

「日々の生活の中に聖なる神様が共にいてくださる、それが静かで穏やかなときでも怒涛のような日でも、神様の前に静まって、神様の声を聴く。このような関係ができるのはイエス様が十字架にかかって、私の罪を赦してくださったいるから」

ということです。医療関係の仕事柄、昨日まで普通に生活をしていた方が、突然に亡くなったり、又は身体の状況が変わって生活が全く変わってしまうということを目の当たりにします。だからこそ、毎日の生活という奇跡と恵みの中で聖なる神様をお迎えして過ごすことができることが感謝です。

WIT23で受けた恵み:大塚茜

Wit23が終了してから1ヶ月と少し経ちましたが、witで学んだ「へりくだり」へのチャレンジが私の中でまだ毎日続いています。スタッフの一員としてwitに参加するというと、恵まれに行くとか、学びに行くとかではなく、参加者が良い時間を過ごせるようにキャンプをオーガナイズするというように聞こえます。でも私は参加者同然、あの場所で働かれていた主を目の当たりにびっくりしながら、抱えきれないほどの恵みとチャレンジを抱えて帰ってきました。wit数ヶ月前から祈り、御言葉を求めつつ準備し、「へりくだり」をたくさん学んだ者としてwitで参加者を導くつもりだったのに、誰よりもへりくだれていないのは私なのだと語られました。

主はwitでたくさんの奇跡を起こされました。参加者が例年より少ないことにがっかりしていたスタッフ一同。始まってみるとピッタリ12人で12弟子みたいだねとひと盛り上がりがあり、さらに少人数だったからこそ主事の手作りご飯をゆっくり食べることになり(準備ありがとうございます😭)、その食事の時間もwitハイライトレベルで良い交わりの時間となりました。フライトが遅れてなかなか到着できなかった一人の参加者のために、みんなで祈り夜中まで起きて待ったこと。賛美助っ人が足りないと思ったら、参加者が賛美を導いてくれることになり賛美の時間が祝福されたこと。ギリギリまで完成していなかった最終日のセッションにて急遽語られた証で恵みが爆発したこと。もっとありますが、私の目から見るとピンチ!やばい、どうしよう!というハプニングを、主は見事全て良いものに変えられました。自分の理想やイメージを手放して主にへりくだった時に、主は働きはじめ、奇跡を見せてくれるお方でした。荒波の中船で大慌てしている弟子を前に、やれやれと海を沈め奇跡を見せてくださったイエス様を見ました。

私のセッションでは、イエス様の愛についてフォーカスしました。特別多くの聖書に関する知識を持っているわけでもないし、人前で話す賜物があるわけでもないので、意味のある時間を作り出すことができるのかリクルートしていただいた時から不安でした。準備中、信仰の先輩に「御言葉にへりくだれ」とアドバイスを受け、私の能力でこの2時間のセッションを行うのは無理だと、へりくだりの心を持って主に、どうか働いてください、私を用いてくださいと、最後の方は祈るばかりでした。実際、私のセッションがどれほど新しい学びを与えられたかを誰かに評価されるとしたら、どんな評価かは分かりません。でも、一人の参加者から「イエス様の愛をありがとう」と声をかけていただいたことだけで私は本当に十分でした。私を通して主がその場でその方に寄り添ってくださったことがとっても嬉しかったです!イエス様ありがとうございます!

個人的には、イエス様の愛を語りながら、自分がイエス様の愛を素直に受け取れない罪を持っていることを悟りました。主にへりくだることを学びながら、いかに普段へりくだるどころか自分の栄光のために生きているのかに気づきました。witにてピリピ2-11のように「イエスキリストは主です」と心から告白できたときの喜びを握りながら、これからも兄弟姉妹を愛して、主に仕える器へと変えられて行きたいと思っています。

 

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