帰国の証:植草花恵

こんにちは!植草花恵です。

今回、私がどのように海外で救われ、またどんな帰国の経験をしてきたのかについて証をシェアさせていただくことになりました。このような機会をいただき心から感謝です。

初めましての方もいらっしゃると思うので、簡単に自己紹介と、救いの証をシェアさせていただきます。

私は3月に都内の大学を卒業し、4月から新社会人として日系企業で働き始めました。

同期が300人以上いるのですが、毎日誰かしら初めましての方と自己紹介をしています。その度に、とまではいきませんが「なんかボタニカルな名前だね!」と頻繁に突っ込まれます。笑 そしてJCFNの中でのあだ名はふらわーです。

神様は本当にユニークな方で、イエス様との出会いについて一人一人異なっていて素敵ですよね。

 

私自身、海外でイエス様と出会って帰国した帰国者クリスチャンですが、 実は両親がクリスチャンの家庭で生まれています。

共働きで忙しかった両親と、小学生の頃までは一緒に教会に行っていました。しかし中学校に入り部活に専念し始めると、教会はもちろん聖書や信仰の話はどこか他人事として過ごしてきました。真面目で優しいと周りから言われるような、一見「良い人」のように見られてきた私でしたが、心の奥深くではいかに自己中心的に自分の利益を求めて生きていたのか、当時は自分と神様のみが知ることでした。

そのような私にも、神様は素晴らしい計画を用意してくださっていました。

大学3年時、ミネソタ州の大学に10か月間、交換留学のために渡米しました。留学期間中、最も濃い時間を共に過ごしたのがルームメイトです。

敬虔なクリスチャンである彼女を通じて、私は神様の愛を徐々に体験していきました。

ある晩、これまで自分が歩んできた罪深き道のりと、それを責めることなくじっと陰で祈ってきたであろう両親の姿を思った時、十字架にかけられたイエス様の本当の愛と平安に包まれました。留学から半年ほど経った時のことです。

私は、海外に来て初めて個人的にイエス様を知り、主と共に真理の道を歩み始めました。

帰国前は、クリスチャンとして日本で信仰生活を送ることに対する不安と期待が入り混じっていたように思います。私の場合、幼い頃のイメージから「日本にある教会とアメリカで通っていた教会とでは雰囲気が全く異なる」「自分と同年代のクリスチャンを日本で見つけるのは難しいだろう」と想像していました。当時の日記を見返すと、「とにかく全てを委ねるので、主に従いたい。私を置きたい場所に導いてください」と毎日綴っていました。

帰国後最初のうちは、両親が通う教会に一緒に行っていました。30人程の教会で、ご高齢の方が多く日本人の牧師先生によって礼拝が守られていました。知っている教会が与えられていることに感謝しながらも、一方で私は「同世代の兄弟姉妹との交わり」が自分の信仰生活にとって大切になるだろうと考え、新しい教会探しを始めました。

現在私が通っている東京バプテスト教会は、インターネットで検索し見つけました。地図を見ながら、一人で礼拝に訪れた時のことを今でも鮮明に覚えています。

最初はもちろん、知り合いが誰一人いなかったのでドキドキでした。週ごとに他の教会を覗きながらも、何度か同じ教会に足を運ぶ中で、顔見知りがだんだんと増えていきました。大きな教会ですが小さな交わりを大切にしている教会だったので、同世代の姉妹がいるスモールグループにも行き始めました。

そして、当時その教会の同じスモールグループに来ていたある姉妹を通じてJCFNの存在を知りました。

その姉妹はJCFNの渋谷スモールグループ(以下、渋谷SG)のリーダーだったので、私は渋谷SGにも通い始めました。毎週月曜に渋谷駅近くのカフェでバイブルスタディーをやっているSGで、今でもとってもお世話になっています。

さらに、GiFTという関東圏での地域集会にも参加をするようになり、昨年度はスタッフとして運営に携わらせていただきました。私以外のほとんどが社会人だったので、働きながらミニストリーで奉仕をする兄弟姉妹の姿から多くのことを学ばせていただきました。

特に就職活動をしていた時期は、私にとってGiFTや渋谷SGを通して出会った兄弟姉妹の存在が大きな支えでした。神様が、私にどのような場所で、どのような働きをしてほしいのかをひたすら祈り求めていた時期に、共に祈り相談に乗ってくれるクリスチャン社会人の先輩が身近に多くいたことは主の恵みに他なりません。

その時に神様からいただいた聖句は、マタイ6:33でした。

 

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」

たくさん迷った中、導かれた場所は人の人生や働くことに大きく関わる人材系の会社です。

まだ社会人生活はスタートしたばかりですが、学生の時とはまた違った喜びとチャレンジが用意されていることと思います。しかしどこにいようと何をしていようと、神様の愛は変わらず、一人一人を知って主がいつもそばで支えてくださいますよね。

遣わされた場所でイエス様の弟子として主に仕えていきたい、そのように思っています。そして今後も大好きな渋谷SGやGiFTに関わることで、帰国者に寄り添い、共に主を見上げて歩む者として用いられたいと祈っています。

イエスの御名で(ヘンリ・ナウエン)その1

中村佐知(キリスト教書翻訳者、JCFN理事、スピリチュアル・ディレクター)

 

今月から3回にわたり、ヘンリ・ナウエンの『イエスの御名でーー聖書的リーダーシップを求めて』からお分かちしていきたいと思います。

ヘンリ・ナウエンは数多くの著作のあるオランダ出身のカトリック司祭です。イェール大学やハーバード大学で実践神学の教授も務めていました。しかしハーバードに就任してから2年後、大学の競争的で野心的な空気に馴染めなかったナウエンは教授職を退きました。そしてカナダに渡り、トロントにあるラルシュ共同体という知的ハンディをもつ人々のためのグループ・ホームの司祭となり、そこの人々と共に生きる道を選びました。

ナウエンはイェール、ハーバード時代、非常に名の知られた人気のある教授でした。しかしラルシュ共同体の人々にとって、ナウエンは有名人でもなんでもありません。ナウエンはそこで、彼がどういう肩書きや業績を持った人なのかをまったく知らず、気にもとめない人たちの中で暮らし始めたのです。その中で彼が示されたことを元に、これからのクリスチャンのリーダーシップについて思索した本が『イエスの御名で–−聖書的リーダーシップを求めて』です。

この本は、次のような三部構成になっています。

[I]能力を示すことから、祈りへ
  誘惑―自分の能力を示すこと
  問い―「あなたはわたしを愛するか」
  訓練―観想的な祈りの恵み

[II]人気を求めることから、仕えることへ
  誘惑―人の歓心を買うこと
  務め―「わたしの羊を飼いなさい」
  訓練―告白と赦しの回復

[III]導くことから、導かれることへ 
  誘惑―権力を求めること
  チャレンジ―「ほかの人があなたを連れていく」
  訓練―神学的思索への希望

第一部「能力を示すことから、祈りへ 」では、聖書的リーダーシップとは、自分の業績や能力を示し、それを提供することによるリーダーシップではなく、ただ神に愛され、選ばれ、贖われた者として、神の愛のもとに、自分の強さではなく弱さを差し出していくことだとナウエンは言います。

そして、そのようなリーダーシップのための訓練は、「観想的な祈り」だと言います。ナウエンは、mystic(神秘主義者)にならねばならない、という表現を使っています。観想的な祈りとは、私たちの願いごとを主の前に持っていくような祈りではなく、主のご臨在の中で安らぐような祈りです。多くのことばを必要とせず、ただ主の愛を味わうような祈りです。観想的な祈りは、「あなたはわたしを愛するか?」と問われる神の愛の中に、私たちを絶えず留め、そこに根付かせます。私たちが神の御臨在の中に留まることを可能にします。

 

『クリスチャンのリーダーは、ただ道徳的で、よく訓練され、人々を助け、この時代の逼迫した問題に創造的に応答できる、というだけでは十分ではありません。それらのことも非常に価値があり大切ですが、それがクリスチャンのリーダーシップの中核ではありません。ここで要となる問いは、「将来のリーダーたちは、真に神の人であり、神の御声を聞き、神の麗しさを仰ぎ見、人となられた神のことばに触れ、神の尽きることない善を味わうために、神の御臨在の中に留まることを熱烈に求める人であるか」ということです。』

 

ナウエンは、そのためには観想的な祈りが不可欠であると言うのです。「神学(’theology’)」という言葉は、もともと、「祈りにおける神との一体(’union with God in prayer’)」を意味していたそうです。

ナウエンはさらに言います。私たちは神学の神秘的な側面を取り戻し、クリスチャンのリーダーが語る言葉、与えるアドバイス、開発する戦略が、神を、受肉した「ことば」であるイエスを、親密に知っている心から出てくるものであるようにしなければならない、と。

みなさんにも覚えがないでしょうか。何か相談を受けたとき、つい、自分の知識や経験から何かを言おうとしてしまうことが。それは、自分の知識や経験は、この状況に関係があると誇示したくなる誘惑です。しかし、本当に祈りをもって神様に聴くならば、神様の御霊は柔軟に、深遠に、そのときそのときの状況に即した知恵と言葉を与えてくださるのでしょう。主が与えてくださるものは、単なるノウハウではありません。リーダーとしての経験が長くなると、つい自分がすでに持っているものから答えを引き出そうとしてしまうかもしれませんが、その都度、いのちの源であるお方に聴くこと… そのとき、自分でも予想もしていなかったことが示され、自分が助けようとしている人の心や状況にも、思いがけない形で触れることができるのかもしれません。それは、公式ではないのです。ただ、主のなさること。主の御霊が導いてくださることです。

3月に合同主事会が行なわれました!

みなさん、こんにちは!

めぐみっくすです。

日本は、だんだんと温かくなってきましたね〜。

4月に新しい生活に入った方も、いつもと変わらない方も、お互いを覚えて祈り合っていきましょう!

 

さて、JCFNは年に一度「合同主事会」というのを行っています。

月に数回、北米は北米主事会、日本は日本主事会というのを行なっていますが、北米と日本の主事が集まり、顔と顔を合わせて、1年の報告や、これからどうするぅー??という話をするのが「合同主事会」です。

七夕か!って感じですね。

 

今年は、314()-16()に行なわれました。

1日だけ協力主事も参加しました!

 

JCFNって何してるの?

どういう団体?

これからのビジョンは?

ということの確認、それぞれの関わりや視点からの分かち合い、課題、財務関係などなど話し合います。

 

多くの方はJCFNが主催、あるいは協賛するカンファレンスやイベントに参加して、神さまの恵みをたくさん体験していると思いますが、それがあるのも、このようなミーティングを丁寧に重ねているからなんですね。

 

合同主事会は神さまの恵みを確認し、次の年度に向けて、一歩を踏み出すための大切なミーティングです!

JCFNの働きを覚えて、裏の裏まで共にお祈りしていきましょう!

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