セントラルカンファレンス23の証③ Shion Otsuka

僕はCC23に参加できてとっても楽しかったです!!普段は日本人クリスチャンはもちろん、日本人自体に会える機会が少ないのに、三日間も日本人クリスチャンと共に神様のことを学び、一緒に遊び、そしてとにかく楽しむことができて本っ当に嬉しいです!!ちょうどユースになる年にCCが初めてユースプログラムをやったからか、その同じ年にたくさんのユースが来てくれたからか、ただ今年が1番良かったのか、僕にとってCC23は今までのCCの中でも1番楽しかったです。普段学校などで会う人たちより僕と似ていて、共感できるような人に囲まれながら賛美したりゲームを遊べたのがとてつもなく楽しかったです。その上今年は、ユースになり大人の礼拝に行くようになったので、今までより深く、色んなことを学べるようなメッセージを聞けました。それをとおして僕はまだ中学生でいながら、僕にも福音を広げられる、そして広げるべきだ、ということを学びました。いつも通ってる教会でもすでにユースグループへ行っていましたが、集中できなく、ちゃんと聞けなかった場面がたくさんありました。しかし、CCでの楽しい、面白いメッセージのお陰で教会をもっと楽しめるようになり、もっと熱心に教会のメッセージを聞けるようになりました。僕は神様がこの二つの要素、楽しさと学びを用いて恵んでくれたのだと思います。素晴らしいメッセージだけではなく、新しい仲間や経験、そしてこれからも頑張り、またこんな経験をしたいというモチベーションも貰いました。(大塚至音、イリノイ在住)

セントラルカンファレンス23証 ② Samuel Kim

私の名前はサムエル・キムです。ミネソタ州の大学を2021年に卒業しました。幼い頃、私の地元にいる日本人をほんのひと握りしか知りませんでした。しかし、日本語と日本文化に興味を持つようになったのは、幼少期から多くの種を蒔かれていたからです。仕事としてミニストリーをしているわけではありませんが、日本人に福音を伝え、日本語を学ぶことに、かなりの時間とエネルギーを費やしてきました。コロナが始まって以来、私は対面でもオンラインでも日本人に福音を伝えることに焦点を当てた様々なミニストリーグループに参加し、2021年の夏からはミネアポリスにある日本人教会に定期的に通っています。CC23では、私の個人的な伝道活動が無駄ではないことを確認することができました。

CCは、キリストに信仰を置く日本人帰国者を励ますという統一された目的のために、様々な背景を持つ人々が集まります。とても特別な集まりだと思います。CC23では、神の御言葉と信仰があらゆる形で宣べ伝えられ、交わりの中で信仰が強められる集会に参加できたことは、私にとって祝福でした。賛美、スピーチ、証の分かち合い、祈り、他の人への思いやりなど、様々な賜物に恵まれた人々に出会い、励まされ、驚かされました。また、3日間のプログラムのあらゆる部分に浸透していた強い共同体意識と神の愛に感謝でした。神様の愛が、霊的な成長に理想的な環境を作り出すのだということを見ることができました。

CC23のおかげで、私は日本人に対する個人的な召命を確認することができました。それを「賜物」とまでは言わないかもしれませんが、私が非常に力を入れ、献身している分野のひとつが日本語学習です。コリント人への手紙第一9章22節〜23節にある使徒パウロの言葉からインスピレーションを受けています。「22弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。 23福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」 この聖句を通して、私は日本人や日本文化に対する先入観を捨て、できる限りネイティブの日本人や宣教師に囲まれ環境に身を置き、日本語や日本文化について学ぶ工夫をするようになりました。CC23の日本語スモールグループは、このような学びの場のひとつとなりました。

CC23の参加申込フォームを記入する際、英語と日本語のどちらのスモールグループに入りたいかという質問項目があったことをなんとなく覚えています。私は「どちらでも」の選択肢を選び、スモールグループの言語は導きに委ねました。驚いたことに、CC23初日、全体集会の後の第一回目のスモールグループで、私以外全員日本人でした。嬉しいのと同時に緊張しました。日本に住んだこともなく、日本語での交流は継続的なものではなかったので、3日間、日本語でのスモールグループを乗り切るには、神の恵みと憐れみに頼らなければならないと思いました。私のスモールグループでの経験から学んだことの一つは、神の恵みは豊かであり、神はその恵みを補うようなパフォーマンスを私に期待してはいないということです。実際、そんなことを私にできるはずがないのです。親切なスモールグループのメンバーたちは、私が助けを必要としていることに気付くと、ディスカッションに私が入れるように話すペースを落としてくれたりしました。また、用意されていたディスカッションの質問について、自分の考えを口に出して話すことで、日本語を練習する機会を与えてくれたことにも感謝しています。スモールグループの人たちは、私の流暢ではない日本語を聞くのはどんな感じだったのだろうか、と今になって思います。ともあれ、日本語を話す練習をする機会をもっと増やし、特に未信者の人たちと信仰を分かち合い、キリストにある日本人の兄弟姉妹の励ましとなれることを願います。そして、EC23を楽しみにしています。

セントラルカンファレンス23 証① Jessica Suzuki

セントラル・カンファレンス2023を通して、神様が私の人生にどのように働いてくださったかを分かち合う機会をいただき、この上なく感謝しています。

正直に言うと、CCや日本人のコミュニティーに関わることは、私にとって居心地が悪いものでした。2016年に大学進学のためにアメリカに来て以来、日本に関連するものから遠ざかっていました。この7年間、私は日本で育った日系アメリカ人としてのアイデンティティに苦しんできました。日本語を話す機会が減り、日本語で礼拝したり、日本語で聖書を読んだりすることが減り、自分の信仰を表現する主な方法は英語になっていました。日本や、日本が私にとって意味するものは、年月とともに私の人生から遠ざかっていきました。心の底では、私の大きな部分がそれを悲しんでいたと思います。

過去2年間、友人がCCやその他の日本のイベントに私を誘ってくれていましたが、私はいつも断っていました。再びその記憶を開けることを躊躇しました。その大きな理由は、私が日本にいたきときに属していたクリスチャン・コミュニティに関係しています。日本で宣教師の子供として育った私は、少なくとも8回は引越しをし、大学まで6つの異なる学校に通いました。そのような環境の中で、残念なことに、生活の基盤となる場所が最も苦痛を生み出す場所でもありました。10代の自分を振り返ってみると、霊的な寂しさしか感じなかったことを覚えています。もっと深く神を知りたかったし、深い会話をしたかったけれど、文化や言葉の壁がその機会を妨げているように感じました。その寂しさは、私にとって苦々しさに変わりました。「あなたはどこにいますか?もっとあなたを知りたい、あなたを求める共同体の一員になりたい、でも行き詰まりを感じる」といつも神様に問いかけていたのを覚えています。情熱的な日本のクリスチャン・コミュニティがあることは知っていましたが、悲しいことに、私は霊的に生きている教会よりも、死んでいる教会に多く出会ってきました。そのような渇いた空間で神様が動くのを見られなかったことが、私の心の中に苦しさと傷を作り出し、それは今も私が葛藤している部分です。しかし、2022年の初めにどん底に落ちた後、神様は私の心を和らげ、神における自分のアイデンティティを再発見し、私の人生のあらゆる面において癒しと変容を求めるように変えられました。その中には、日本で育った自分自身と自分のルーツを再発見することも含まれています。この2022年から2023年にかけて、私は再び日本のコミュニティーに足を踏み入れるようになりました。

それゆえ、私がもう少しそれらのことについて考える完璧なタイミングでCCに参加することになりました。私はCCに何の期待もしていませんでした。ただ、神様がこのカンファレンスに、心をオープンにして参加するようにと私を呼んでおられることだけは分かっていました。そして案の定、神様は私の心を動かし、和らげてくださいました。純粋に心からイエスを愛している日本人クリスチャンに出会い、私の故郷に心を寄せ、情熱を注いでいる外国人(中には日本に行ったことすらない人もいる)に出会い、私の心は砕かれました。神様は、日本とそのコミュニティに対する神様の深い愛と、神がいかに存在し、ずっと存在しておられるかを私に思い出させてくれました。自分の故郷のために祈ったのはいつ以来だろう?日本のような場所で、神様が動いてくださることに希望を託したのはいつ以来だろう?この地のリバイバルのために祈ったのはいつ以来だろう?他のクリスチャンたちがこのリバイバルのために熱心に祈っているのを目の当たりにして、私は自分が神に信頼を置くこと、そして神がこの地でどのように動いてくださると信頼することから、どれほどかけ離れているのかを思い知らされました。冷淡で、辛辣で、拳を握りしめたままの私が、自分自身や自分の傷よりも大きなものを信じるように心を変えることから始まるのだと。「ジェシー、手放す準備はできているか?心を開いてくれるかい?あなたの心は、わたしの心を痛めるものに対して痛めるか?わたしはこの場所にいる。あなたが見ていなくても、わたしは動いている。わたしは日本を愛しているし、この場所を捨てたわけではない。わたしがあなたの中で働けるように、もっと場所を空けてくれないか?わたしがもっとあなたを通して働けるように、場所を空けてくれないか?まずあなたの中で働けなければ、あなたを通して働くことはできないよ。」

CCは、私の日本への愛を何度も何度も確認させてくれました。自分のルーツと再会し、同じ情熱と愛を分かち合う人々と出会うという、私の癒しの旅の出発点になってくれたことに、感謝でいっぱいです。もう日本を過去の一部にしたくない…。今後、私個人として日本のコミュニティとどのような関わりを持つことになるのか、見当もつきません。しかし、私は両手を広げ、主が私に計画されたものは何でも受け取る姿勢でいます。

 

「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」(ローマ人への手紙11章36節)

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