[ec23]ぷれっぷデボーション②旅人へのパンが必要なのです。

みなさーん、こんにちは!

いよいよECが近づいてきましたね!ZOOMでやっているECのための祈り会、ぷれっぷのデボーショナルメッセージ第2弾です!

次回のぷれっぷは、次回は11月25日(土)8am(EST), 7am(CST), 6am(MST), 5am(PST), 10pm(JPN)です!

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前回はヨナ書から「神さまも惜しんでおられる」というメッセージをしました。

 

ヨナが、トウゴマが枯れてしまった時に悔しんだ、惜しんだように、私たちも何かを失った時に、それがいかに大切なものだったのかに気づいて、惜しむことがあります。でもその経験は、神さまがニネベの人たちを、また日本人の魂をも、惜しんでおられることを、分かってもらうためでした。それほどまでに、神さまは日本に帰国する方々が教会から離れてしまうことがあるという現実に、心を痛めておられ、その破れ口に立つ者に、私たちになって欲しいのです。

 

それが前回のメッセージでした。なるほど神さまは日本に旅立つ帰国者のために、必要なことを私たちがするように奉仕へ招いておられる。それが分かったところで、次はこんな思いが湧き上がってくるのです。

 

では私たちに一体、何ができるのだろうか、と。…何ができますか?…海外に来て、日本にはいないような大勢の信仰者たちに出会って、福音に触れ、イエスさまを知った信仰者たち。そんな彼らが、旅人として、また帰国していくその先で、様々なギャップに出会い、教会から離れて行ってしまう。そんな出来事に対して、神さまは惜しんでおられる。そしてその気持ちが私たちにも分からされた。でも一体私たちに何ができるでしょうか。何ができるんでしょうか。

 

今日お読みした箇所には、旅人のために必要なパンを渡すことができない人物が描かれています。旅人にパンが必要なのに、何もしてやることができない、その人は、ある人の所へ助けを求めに行きます。それは、頼れる友人、しかもおそらく裕福で豊かな富を持っている友人の所でした。

 

彼にパンを三つ貸してくれと頼むのでした。あの友だちなら出してくれると、彼はすがったのです。彼はこう考えたからです。「私には旅人たちに何もしてやることができない。でも、私には、あの友人に、旅人のために必要なパンを出してもらうようお願いすることはできる。」

 

皆さん考えてみてください。真夜中に「ピンポーン」ってチャイムを鳴らすことができる友人、何人もいますか。そんなことができるのは、最も仲の良い、一人の友人ですよね。

 

この譬え話は、弟子たちがイエスさまに「祈りについて教えてください」と尋ねた時に、「主の祈り」を教えられてから、その次に教えられた譬え話です。

 

イエスさまはこの譬え話の中で、ご自分のことを、豊かな富を持っている、頼れる、唯一の、いつでも助けを求めることができる、あなたの友であると、教えているのです。

 

その友に、旅人のために必要なパンをあなたが求めなさいと、今日はこの聖書の箇所から語られています。

 

そういう祈りのことを、「とりなしの祈り」と言います。自分が無力であることを知っている人が献げることのできる、祈りです。

 

そしてその祈りは、熱心に献げられるべきものであることも、この聖書の箇所は教えています。しつこく祈れ、と。

 

どうしてイエスさまは、しつこく祈ることを求めておられるのでしょうか。この「しつこさ」と翻訳されたギリシア語は、ἀν•αιδεια(anaideia)という言葉です。英単語でも、最初にunが付く単語は、否定の意味が含まれていますよね。例えば、unbelievableというのは、「信じ・られない」という意味ですよね。この「しつこさ」と訳されたἀν•αιδειαという言葉は、「慎み深く・ない」という意味なのです。

 

だってパン3つですよ。夜中に扉を「ドンドン」ですよ。大胆に祈れ、おねだり上手になれ、とイエスさまは私たちに教えているんですね。おねだり上手な祈りってどんな祈り?と興味がある方は、ぜひアブラハムやモーセの祈りから学んでください。創世記18章と、出エジプト記33章です。

 

でも意外にもこの友人は、「もう寝たいから面倒をかけないでくれ」と最初のうちは断るんですねえ。これは譬え話でして、イエスさまがこのような性格ではないことは私たち分かっているのですが、それならこの一度断るくだりは何を教えたいのでしょうかね?

 

私は思うのです。イエスさまは、私たちが諦めないで信じ続けて祈りの答えが来るのを待っている姿を喜ばれるのだと。どうしてかと言うと、私たちが求め、主が与える、という関係こそが、私たちと神さまとの絆だからです。

 

男性の方いますか。女性から何かを頼られた時に、お願い事をされた時に、おねだりされた時に、きっとこう答えてしまった経験あるんじゃないでしょうか?「え〜、どうしよっかなー?」って。経験ありませんか。いや、あるでしょ。笑

 

それは決して意地悪したいという悪い気持ちではなくて、2人の関係性をより親密にしたい想いからくるものですよね。そうです。イエスさまは私たちの信仰を、イエスさまへの信頼を、もっともっと深くするために、祈りにおいて熱心になるよう招かれます。

 

するとどうでしょうか。この、頼れる友人が与えた物は何でしたか?三つのパンでしたか?いいえ、私たちが願うところ、思うところをはるかに超えて、この友人は「必要なものを何でも」あげてくれるのですね。

 

これが、私たちが旅人に対して、パンを与える力が無いことに気づかされる必要がある理由です。私たちは旅人たちに何もしてやれることがない時に気づく時に、この、必要なものすべてを与えられる友人に、祈り頼る者へと変えられるのです。

 

さぁ、帰国者ミニストリーに携わる私たち。とりなし祈る者として仕えて参りましょう。

 

 

 

 

[ec23] ぷれっぷデボーション①神様も惜しんでおられる

みなさんこんにちは!EC準備祈祷会、ぷれっぷでは毎回大竹信和神学生がショートメッセージをしてくださっていますが、それがとてもいい!!

ので、ブログでも折々にシェアさせていただきたいと思います。

恵まれた方、またぷれっぷで共に心を合わせてECのために祈りたい方、次回は11月25日(土)8am(EST), 7am(CST), 6am(MST), 5am(PST), 10pm(JPN)です!

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皆さんは何かを失った時、それを惜しんだ経験をお持ちでしょうか?失って初めてそれが自分にとってどんなに大切であったかに気づいた、という苦い経験が、きっと誰しもが一度はおありなのだと思います。痛みを伴うかもしれませんが、もし可能であれば今少し、その時の気持ちを思い出してみて頂きたいのです。

 

なぜならその経験は、神さまもよくご存知の痛みでありまして、神さまの愛を痛烈に知る手がかりとさえなるからです。

 

どういうことかと申しますと、神さまが私たちにとって救い主であってくださるのは、まさに神さまが「失われている存在を惜しまずにはいられない神」だからなのです。私たちが何かを失う痛みをよく知っているならば、それだけ神さまのおこころも知るよしがあるのです。

 

そして、その痛みを深く知っている人は、神さまの望んでおられる働きのために奉仕する原動力を秘めているのです。

 

自己紹介が遅れましたが、私はこの度ECの祈りのアシスタントディレクターとしてリクルートを受けました、神学生の大竹信和と申します。

 

実は今までECのことを知りませんでしたし、何もかも初めての状態で、友だちの西村日和姉を通して奉仕者として招かれました。

 

そしてしかも、こうしてぷれっぷでのみことばのメッセージを担当することになりました。正直、何を語って良いか分からない中、準備の期間を過ごして参りました。

 

ですが3日前に、私はある夢を見て夜中に目を覚ましました。それは、私が最近経験した、つらい喪失体験を思い出すような夢でした。

 

布団から飛び起きて、暗い部屋の中、思い出してしまった喪失体験に心痛めながら、「どうしてなのですか、主よ」と、大切なものを失って以来、口癖のようになっていた祈りをポツリとつぶやきました。

 

その時、「あなたは惜しんでいるのか」という御声が頭に響きました。

 

私はすぐにヨナ書を開きました。そこには、不機嫌なヨナの機嫌を直そうと、神さまが生やされた一本のトウゴマが、枯れてしまって、またもや怒っているヨナの姿が描かれていました。

 

私にはこのヨナの気持ちがよく分かりました。「いったい何をしてくれるんだ神さまは」という、失った悲しさからくる怒りと、疑惑がそこにありました。こんな経験をさせられるのはいったい何のためなのだと。

 

そんなヨナに主は語りかけるのでした。

 

ヨナ書 4章10~11節

“主は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」”

 

ヨナがトウゴマを失った悲しみ、それを惜しむ気持ちを経験したのは、何としてでもニネベの人たちを救わなくてはならないという神さまの惜しむ気持ちが分かる者となるためでした。

 

私は「どうしてこんな夢を見せたのですか」と思っていたその夜に、神さまが日本人の魂を非常に惜しんでおられることを知りました。

 

せっかく海外で福音に触れて、イエスさまを知り、十字架の愛に捉えられて救いに至る信仰を受け取った魂が、日本に帰国すると、そのギャップで教会から離れてしまう人も多いという現実。その現実に、神さまは心を痛めておられる。「どうして」と呼びかけずにはいられないほど惜しんでおられる。

 

その苦しみを、神さまは私にも分かって欲しかった。なぜなら、帰国者のために仕えるミニストリーにこの年末、関わる者として、熱意をもってその奉仕にあたるため。

 

海外邦人宣教団体の働きに、主は熱意を持っておられます。Equipper Conferenceには主のみこころがあります。それは、これから帰国しようとする日本人の魂を、失うなんて惜しまずにはおられないほど愛しておられる神さまの、熱い想いです。

ECでまってるよー!

今年も12/27〜1/1/2024にECが開催されます!

テーマは「匠〜 Made for His Purpose〜」です。

 

ところで、「匠(たくみ)」って聞いたことありますか?普段あまり聞かない言葉かな。。。若い子は特にね。

 

一般的に「匠」は作者の中でも究極の存在を表現する肩書きのようなものです。

なぜ匠とまで呼ばれる作者がいるかというと、

匠だけが知る作品の設計・目的・デザイン・どう使われるかのアイディアが込められていて、それは完璧であり、同時にとてもユニークなものに作られるからです。

私たちの創造主は、まさに究極でオンリーワンの匠。私たちには神様の設計/目的/アイディアが詰め込まれています。

 

日々私たちって、他人の目に囲まれて生活しているわけです。

ある人にとってはプレッシャーを感じる日々かもしれません。

学生も、社会人もそれは同じで、「こんな自分でなきゃ/これこそが私のイメージ」って、演じていないでしょうか。あなたは周りにどう見られているのでしょう。そして、どんな自分を見せようとしているのでしょう。自分では分かると思います。

もちろん、相手を想って抑えたり、盛り上げたりすることは、時に大事なことかもしれません。しかし「本当のわたし」って一体どんなものでしょう。

 

もし演じているあなたに気がついているなら、いつか疲れ果てる時がくるかもしれません。なぜなら最も生き生きとできる、オリジナルデザインとは違う自分だからです。変な例えかもしれませんが、洗濯機はスマホとは違います(知ってるわ!)。洗濯機はスマホのような機能は無いし、洗濯機にしかできないことがあります(そりゃそーだ!)。それは明確な意図があって、洗濯機として作られたからですよね。私たちのために匠が施した設計ってどんなものでしょう?本当の生きる目的に想いを向けると同時に、何よりも、確かな目的があって私たちを造った匠である神様をもっと見るECです!

 

前回ECが終わってすぐに、EC23の準備はスタートしました。実行委員一同、参加をお待ちしています!

土田大介(北米主事)

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Registration LINKはこちら

追記:

今年は、定員があり、もう70%埋まっています。お申し込みはお早めに!参加費の一部が奨学金で支援されます。奨学金が必要な方は、申込時に奨学金もお申し込みください。早割の締め切りは、11月4日です。定員になり次第申込終了になりますが、申込最終日は12月9日です。

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