Christmastide (降誕節)

 

クリスマスおめでとうございます。
暗闇の中で光がやってくるのを待っていた約4週間がおわり、ついにクリスマスになりました。これから12日間を、教会暦では「降誕節」といい、イエスの誕生を祝う時期です。25日が来てクリスマスが終わったのではなく、これからがクリスマスです。

アドベントの間、私たちは待っていました。暗闇の中で、光が現されることを、忍耐と希望を持ち待っていました。

そして、光がやって来たのです。

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。……御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた(ルカ2:11、15−16)

 

みなさんは、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事をご覧になりましたか? そこに見たものに、あなたはどのように応答したいですか? あなたがそこに見たものは、今日のあなたの生活に、いのちに、どのような影響を与えていますか? あなたが今日という日を生きる上で、どのように力を、希望を、助けを与えてくれていますか?

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9:6)

その名はインマヌエルと呼ばれる。(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(マタイ1:23)

中村佐知(キリスト教書翻訳者、JCFN理事、霊的同伴者)

待降節を迎えるにあたって

中村佐知(キリスト教書翻訳者・JCFN理事・霊的同伴者)

 

みなさんこんにちは。数ヶ月ぶりに戻ってきました。
もうすぐアドベントですね。今年は12月1日からです。

さて今日は、アドベントにぴったりのディボーショナルをご紹介します。
バイオラ大学のCenter for Christianity Culture and the Artsが毎年編纂している、画像と音楽と文章による素晴らしいディボーショナルです。英語ですが、お勧めいたします。

http://ccca.biola.edu/events/2019/dec/1/advent-project-2019-online-devotional-project/

また、アドベントを迎えるにあたりぴったりの記事があります。
トランスフォーミング・センターのルース・ヘイリー・バートンによる、Invitation to Advent: Leaders in Liminal Space という記事です。こちらも英語ですが、大変励まされる内容なので、英語で読める方にはお勧めいたします。

https://transformingcenter.org/2019/11/invitation-to-advent-leaders-in-liminal-space/

では、Happy Christian New Year!

C-WIT Norcal19の証

ウォング明日香

私はEquipper Conference には3回参加したことがあったのですが、約3か月前に、JCFNからリトリートの案内を受けたときに、C-WITがどんな事をするのかもよく分からないまま、きっと素晴らしいリトリートに違いない、と申し込みをする事にしました。今回は会場が北カリフォルニアで自宅から日帰りで参加できるのも魅力的でした。ところが申し込みの一番最後のところに、会場が毎週自分が通っている教会だとありました。これは非日常どころか、思い切り日常じゃないの~、と少しがっかりしました。でも見方を変えると、家から車で10分の会場だから家族に留守番を頼むには良い事かも、と思い、C-WITに期待して参加しました。

会場に着くと、いつもの教会にJCFNの摂さん、祐子さん、中村佐知さんという豪華メンバーがいらして、もうそれだけで非日常気分になり舞い上がりました。

しかし、話を聞くうちに、これが沈黙のリトリートだという事がわかりました。ランチは誰ともおしゃべりしないで一人で黙々と食べるというのです。その後、午後の数時間も沈黙の中で心を静めて過ごすようにとの事で、私は面食らってしまいました。自分が期待していたECのような熱い賛美、祈り、交わりとは全く異なるものだとわかったからです。

なんだか心細いまま、午前中の佐知さんのメッセージが始まりました。その中で、「このリトリートでそれぞれ期待してきたことがあるでしょうが、それも一旦、横においてください。この場に、まる一日をささげて集まってきただけで、すでに神様は喜ばれるのです。」との言葉に深い感銘を受けました。私には9歳と4歳の息子がいて、通常土曜日は、習い事やその他家の事で大忙しだったからです。このリトリートも主人の助けなくしては、まる一日を過ごすことは難しい事でした。でも飛行機で来られた方や、別の教会から一時間以上運転してこられた方の前では、自分は時間をやりくりしてようやくここに来れたのだ、と言う事すら申し訳ないような気持ちでいました。それに会場である教会のメンバーなのに何もお手伝いもせずに、ただ現れただけなのも、ちょっと申し訳ない気持ちでいました。

でも、佐知さんのお話が終わって、静かに思いをはせるうち、つまらない私の罪悪感すらも、神様に見透かされているような気がしてきました。

同時に、私の頭の中ではいつも「何かしなくてはならない」というスイッチが入っていて、静まる事が全くない事に気づきました。うちには未就学児が家にいて、ほぼいつも一緒にすごしています。私は子供の世話、家の事、時々夫の話し相手(笑)、、で頭の中が休まることがなく、疲弊しているのは明らかだったからです。

そんなわけでしたから、沈黙の中で食べる昼食は、誰にも私の時間を邪魔されず、至福の時でした。いつも人であふれかえっている教会のソーシャルホールがしんと静まり返っていました。不思議な気分でした。おいしいサラダの味をしっかり味わう事が出来たし、周りにいる誰にも気を遣わず、楽しいおしゃべりの話題すら考えず、外の美しい景色をみて、それらをを創られた神様ってすごいなぁ、と考えるだけでした。すると、心に大きな喜びがわいてくるのがわかりました。今までは、神様との対話と言えば、自分ひとりの時間が欲しい、家族の健康、自分の将来へのビジョンなど、神様に心配事をぶつけて、その解決策が与えられることを願うばかりの私でした。でもこのリトリートに来て、その願いもひとまず手放して、自分という小さな存在を神様の前に差し出したら、普段見る景色も、食事の味すらもが違って見えてきました。

昼食後、近くのバラ園に連れて行ってもらいました。一緒に行った方々とも離れて、それぞれ思い思いに過ごしました。美しいバラや、その甘い香り、カリフォルニアの青い空、そこで結婚式をしている人々、よちよち歩く小さい赤ちゃん、など全てが希望に満ちた景色に見えて、また心に喜びがわいてきました。

今回、C-WITに参加できて、本当にうれしかったです。一番の収穫は、普段の慌ただしい生活に戻ってからも、時々、深呼吸して静まること、近くに主が作られた美しいものがあり、自分もその主に愛され、生かされている、という事を確認することができるからです。

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