レント

中村佐知(JCFN理事、キリスト教書翻訳者、スピリチュアル・ディレクター)

みなさん、こんにちは。今年は3月6日からレントに入りましたが、みなさんはどのようにレントを過ごしておられますか? プロテスタント教会では教会暦をあまり意識しないところも多いので、レントと言われてもピンとこない方もおられるかもしれません。

私たちが普段使っているカレンダー(グレゴリオ暦)は、ローマ帝国で用いられていたユリウス暦にその起源があります。1月1日を一年の初めとしたのは、もともとローマ帝国で始まったことでした。一方教会暦は、アドベント[待降節]の始まりを一年の初めとみなします。そして、イエスのご生涯および教会に託された時代が、クリスマス[降誕節]、エピファニー[顕現節]、レント[四旬節]、イースター [復活節]、そしてペンテコステ以降という形で、一年の中に凝縮されます。教会暦を意識して生活するとき、私たちは神の時間(カイロス)の中に生きる、神の国の民であることを日々思い起こすことができます。

 

さて、レントとは復活祭に先立つ40日間(日曜日を除く)で、神にもう一度立ち返る期間、自省と悔い改めの期間、祈りとみことばと断食などを通して、改めて自分を主に捧げ直す期間です。伝統的には、イエスが荒野に退いて試みを受けられた40日間に合わせて、この期間は何らかの食べ物や活動などを節制することがなされてきました。

 

また、レントに断食したり、何らかのものを手放したりするのは、自分に苦行を課すことが目的ではなく、もっと善いもののために場所を作るためだとも言えます。たとえば、食べ物を制限することで御言葉をより深く味わうとか、自分が多くの時間を費やしている活動を制限することで、さらに祈りに時間を費やすなどです。昔のクリスチャンには、肉やワインをレントの期間中に摂取しないことで、その分浮いた食費を貧しい人たちのために寄付するという人たちもいたそうです。私は何年か前、ある試練を通っていた頃、レントに「心配すること」を手放し、心配する代わりに主に感謝することを心がけたこともありました。具体的にレントをどう過ごすかについて、聖書に規定があるわけではないので、各人が祈りつつ、この期間の過ごし方について導きを求めるといいと思います。日のめぐりとともに、季節のめぐりとともに、こうやって何度も主に自分を捧げ直す機会が与えられているのは感謝なことです。

 

今年のレントはすでに半分ほど過ぎていますが、復活祭までまだ3週間ほどあります。レントをあまり意識していなかったという方でも、もしも導きを感じられましたら、復活祭までの約3週間、私たちの罪のために十字架につけられたイエス様の受難を思いつつ、自らを振り返り、自分の生活の中で主に立ち返るよう招かれている領域がないか、祈りをもって思い巡らしてみてはいかがでしょうか。

 

Examen(意識の究明)

中村佐知(JCFN理事、キリスト教書翻訳者、スピリチュアル・ディレクター)

 

イエズス会のイグナチオ・デ・ロヨラ(聖イグナチオ)が教え、実践していた祈りの方法で、「意識の究明(Daily Examen)」と呼ばれるものがあります。これは、過去24時間を振り返り、その中にあった神様の愛に満ちた御臨在(Presence)に注意を払い、御霊の動き・導きを識別できるようになるための霊的修練(エクササイズ)です。

パウロは、御霊によって歩みなさい、御霊によって導かれなさい、御霊によって生きなさい(ガラテヤ5章)と教えました。また、御霊を消してはなりません(1テサロニケ5・19)とも言っています。イエス様ご自身も、「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7・38)とおっしゃいました。

私たちはいつでも生ける水の川の流れの中にとどまり、御霊によって導かれつつ歩みたいと願うでしょう。しかし実際の日々の生活では、生ける水の川の流れから外れてしまい、肉の思いで生きてしまっているときもあると思います。その一方で、振り返ってみるならば、あれは御霊が助けてくださったのだ、導いてくださったのだと思えるときも多くあるでしょう。

「意識の究明」では、一日を振り返り、自分がいつ御霊によって導かれていたか、御霊とともに歩んでいたか、またいつ御霊を消して、肉の思いで歩んでいたのか、意識的に思いを巡らします。そのとき、一日の中で起こったことすべてを、緻密に思い返し、分析する必要はありません。また、いかにも重要と思われることだけに集中するのでなく、心の中に思い出されたものは、たとえ些細なことであっても流さずに心に留めます。大きなことでも小さいことでも、聖霊の導きのままに示していただくよう求めます。自分では特に重要だと思っていなかったことに、思いがけない神様の恵みが隠れていたことに気づかされるかもしれません。

 

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基本的には次のステップをとります。

 

① 神の御臨在を意識し、感謝する

何度か深呼吸をし、主の前に静まり、心を整える。今、ここにおいて、神が共にいてくださること(神の御臨在 presence)、神が私たちのそばにいたいと願っておられることを意識する。この日が、いのちが、救いが、すべて神からの贈り物(gift)であることを覚え、感謝する。

 

② 聖霊がこのプロセスを導いてくださるよう求める

神がご覧になっているようにその日一日を振り返ることができるように、神が私に見せたいと望んでおられることを心に思い起こさせてくださるように、恵みを乞い願う。

 

③ 一日を振り返り、特に自分の感情の動きに注意を払う

聖霊の導きのもとで、感謝をもって一日の出来事を振り返る。私の言葉や行動はどのようなものだったか。その背後にあった私の意図や動機、感情は何だったか。今日体験した出来事に対する私の反応、心の動き(感情)はどうだっただろうか。喜び、不安、高揚感、退屈さ、自信、苛立ち、思いやり、怒り、安心感…… また、一日の出来事の中で、そのとき神はどのようにあなたと共におられたか。神は私をどのように導かれたか? 神は私に何を語ろうとしておられたか? それに対する私の反応、応答、態度はどうだったか? 神の御臨在(または不在)は私にどのように感じられたか。私は神に向かおうとしていたか、それとも神から離れようとしていたか?

 

④ 感謝、告白、赦しの求め

③ で気づいた、一日の中で自分の内に働いていた罪の力や恵みの力についての応答をする。 特に重要と思われる一つのことを示していただくよう聖霊に願い、その一つに集中するといい。神のみちびき、恵みに応えることができたならば、それを感謝する。罪や過ち、また神の愛や呼びかけに応えなかったことを示されたなら、それを主の前に告白して赦しを願う。

 

⑤ 明日に向けて祈る

 明日の自分に必要な恵みと助けを神に願い求める。

 

この祈り方にはいろいろなバリエーションがありますが、だいたいこんな感じです。

振り返りの期間も、一日ではなく一週間、一ヶ月間、一年間といった長い期間を概観するように振り返ることもできます。

 

また、一日(あるいはそれより長い期間でも)を振り返るとき、必ずしも時系列に沿って出来事を追うのでなく、今日一日の中で、最も感謝を感じたのはいつだったか、最も感謝を感じなかったのはいつだったか、最も愛に満たされていたのはいつだったか、最も愛を感じていなかったのはいつだったのか、自分が最も生き生きとしていたのはいつだったか、神のいのちから最も離れていたのはいつだったか、いつ神様や他者とつながっているように感じたか、いつ神様や他者から切り離されているように感じたか、といった問いをしてみるのもいいかと思います。

 

このような振り返りの祈りは、自分の生活の流れの中で働いておられる神様の動き、御声により敏感になっていくのを助けてくれます。定期的に立ち止まり、自分がどのように神とともに歩んでいたのかを振り返るのは、幸いなことではないでしょうか。この祈りは、自分を責め、打ちたたくためのものではありません。むしろ、自分の生活の中の神様の御臨在により注意を払うことで、より一層感謝できるように助けてくれるはずです。日々悔い改めの機会が与えられることも感謝です。この祈りのエクササイズが、皆さんの日々の歩みに神さまの恵みがより豊かに流れ込むための助けとなりますように!

 

参照:Ignatian Spirituality  https://www.ignatianspirituality.com/ignatian-prayer/the-examen

修道士マニフェスト

中村佐知(JCFN理事、キリスト教書翻訳者、スピリチュアル・ディレクター)

 

先日、あるサイトで「修道士マニフェスト」なるものを見つけました。とても心に響くものがあったので、みなさんにもお分かちしたいと思います。

 

修道士マニフェスト

  1. 沈黙とソリチュード:私は、毎日、一日のどこかの時点で一人になって静まる時間をとります。雑音と絶え間ない刺激にさらされる文化に抵抗し、内なる静かな声に耳を傾けるための時間を持ちます。
  2. もてなし:私は、自分の内側においても外側おいても、ストレンジャー(自分にとって異質な人、不慣れなもの)を徹底的に歓迎し、もてなします。自分の中に存在しながらも、これまで気づいていなかった感情、認めたくなかった思いを受け入れるために、心を広げ場所を作ります。そうすれば、ほかの人の中にある私にとって異質なものも受け入れ、思いやり(コンパッション)を持てるようになるからです。
  3. 共同体:私は、霊的旅路における共同体を意識的に構築します。同じ思いを持つ仲間たち、自分の最も深い渇望を分かち合えるたましいの友、知恵とガイダンスを差し出してくれるメンターを見つけ、この旅路を彼らと共に歩みます。
  4. 被造世界とのつながり:私は、自分が被造世界の一員であることを認め、被造世界とのつながりをもっと意識するようにします。エネルギー資源の使い方やさまざまな消費活動をよく吟味し、自然を破壊するようなものから退くことによって、健全な禁欲主義を養います。
  5. 労働:私は、収入を得るための働きでも、無償のボランティアでも、心を込めて自分の仕事に取り組みます。自分の賜物を用いてこの世界に貢献できる機会があることに、感謝の心を持ちつつ働きます。
  6. 安息日:私は、安息日を実践することによって、休息と新生のリズムを保ちます。活動やその成果によって私の価値を測ろうとする、この世の多忙な文化に抵抗します。
  7. トランスフォーメーション:私は、生涯をとおして継続的な回心と御霊によるトランスフォーメーションに身を委ねます。いつも賜物と限界の両方を持って歩んでいることを認めます。

(原文はこちら。)

 

さらに動画バージョンもあり、そちらには最後に、「私は踊る修道士です」という項目が加えられています。

 

 

修道士と聞くと、プロテスタントの自分には関係ないと思われるかもしれませんが、ここでは、祈りをもって神と人との関係を深めつつ、修養する人生を生きることを願う、すべてのクリスチャンのことだと考えていいかと思います。

1〜7の項目も一つひとつ語られるものがありますが、「踊る修道士」という項目も大変興味深いと思いました。踊るというと、喜びやセレブレーションのイメージがあります。主が与えてくださった救いへの喜びと将来の希望を彷彿させます。また、三位一体の神を表現する言葉にperichoresis というものがあり、その文字通りの意味は”dancing around together” だそうです。私たちの神は、踊る神様なのですね。三位一体の神の中にある、共同体的性質と深い愛の永遠の交わり、その交わりとダンスに私たちも招かれている……「踊る修道士」のイメージは、そんなことも思わせてくれます。

これらの項目の中で、みなさんはどれがいちばん心に留まりましたか? 特にチャレンジを受けるように感じるものはありましたか? 特に招かれているように感じる項目はありましたか?

教会暦ではすでに新年に入っています。西暦でももうすぐ2019年に入ろうとしています。新しい一年に向けて、神様からみなさんへの招きはなんでしょうか?

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