Radical Humility、イエス様の十字架に触れて、まさに信仰の不思議、死ぬのに生き返るという霊的にリフレッシュしたWITでした。昨年は、人生で初の英語での生活・勉強、初のアメリカという慣れない環境に加え、南部ノースカロライナでの歴史的・神学的葛藤も加わり、何度も泣いた苦労の日々でした。疲れて、一生、日陰でひっそり生きていきたいと思っていたので、リーダー訓練会なるWITになんて行く気持ちが起こりませんでした。でも、みことばへの渇きを感じていたので、この渇きを満たされるために、あとはせっかくの夏休みだからという気持ちで参加しました。敵意の真中で私たち人間をembraceしてくださったイエス様に触れ、私は大変であったとはいえ、この一年、難しい関係性の中で敵意を心の内側に抱いて人を裁くことで、自分のinsecureな部分を守っていた自分が照らされ、でも、包まれました。今置かれている場所で、主に従って生きる先に、神の栄光を表すこと、他の人の祝福のためになることがあることを、久しぶりに願うことができました。尊い祈りと献金のサポートに感謝をします。
WIT23で受けた恵み:大塚茜
Wit23が終了してから1ヶ月と少し経ちましたが、witで学んだ「へりくだり」へのチャレンジが私の中でまだ毎日続いています。スタッフの一員としてwitに参加するというと、恵まれに行くとか、学びに行くとかではなく、参加者が良い時間を過ごせるようにキャンプをオーガナイズするというように聞こえます。でも私は参加者同然、あの場所で働かれていた主を目の当たりにびっくりしながら、抱えきれないほどの恵みとチャレンジを抱えて帰ってきました。wit数ヶ月前から祈り、御言葉を求めつつ準備し、「へりくだり」をたくさん学んだ者としてwitで参加者を導くつもりだったのに、誰よりもへりくだれていないのは私なのだと語られました。
主はwitでたくさんの奇跡を起こされました。参加者が例年より少ないことにがっかりしていたスタッフ一同。始まってみるとピッタリ12人で12弟子みたいだねとひと盛り上がりがあり、さらに少人数だったからこそ主事の手作りご飯をゆっくり食べることになり(準備ありがとうございます😭)、その食事の時間もwitハイライトレベルで良い交わりの時間となりました。フライトが遅れてなかなか到着できなかった一人の参加者のために、みんなで祈り夜中まで起きて待ったこと。賛美助っ人が足りないと思ったら、参加者が賛美を導いてくれることになり賛美の時間が祝福されたこと。ギリギリまで完成していなかった最終日のセッションにて急遽語られた証で恵みが爆発したこと。もっとありますが、私の目から見るとピンチ!やばい、どうしよう!というハプニングを、主は見事全て良いものに変えられました。自分の理想やイメージを手放して主にへりくだった時に、主は働きはじめ、奇跡を見せてくれるお方でした。荒波の中船で大慌てしている弟子を前に、やれやれと海を沈め奇跡を見せてくださったイエス様を見ました。
私のセッションでは、イエス様の愛についてフォーカスしました。特別多くの聖書に関する知識を持っているわけでもないし、人前で話す賜物があるわけでもないので、意味のある時間を作り出すことができるのかリクルートしていただいた時から不安でした。準備中、信仰の先輩に「御言葉にへりくだれ」とアドバイスを受け、私の能力でこの2時間のセッションを行うのは無理だと、へりくだりの心を持って主に、どうか働いてください、私を用いてくださいと、最後の方は祈るばかりでした。実際、私のセッションがどれほど新しい学びを与えられたかを誰かに評価されるとしたら、どんな評価かは分かりません。でも、一人の参加者から「イエス様の愛をありがとう」と声をかけていただいたことだけで私は本当に十分でした。私を通して主がその場でその方に寄り添ってくださったことがとっても嬉しかったです!イエス様ありがとうございます!
個人的には、イエス様の愛を語りながら、自分がイエス様の愛を素直に受け取れない罪を持っていることを悟りました。主にへりくだることを学びながら、いかに普段へりくだるどころか自分の栄光のために生きているのかに気づきました。witにてピリピ2-11のように「イエスキリストは主です」と心から告白できたときの喜びを握りながら、これからも兄弟姉妹を愛して、主に仕える器へと変えられて行きたいと思っています。
WIT証 その2
石坂奨 (テキサス州在住)
一番のチャレンジと決心はWITが終わった次の日に来ました。空港に向かう帰りのライドに、同じくWITに参加した子が一緒に乗っていて、彼女から東海岸のミニストリー「いっぷく」について色々と話を聞いていました。彼女は、いっぷくのバイブルスタディに参加していたノンクリスチャンの女の子と毎朝電話で一緒に聖書を読み、祈る時間を持ったこと、そしてその女の子が信仰を持ち、今は日本に帰国してノンクリスチャンの家族に熱意を持って伝道していること、その女の子は彼女にとって初めての霊的な子どもだという話でした。その救われた女の子がアメリカにいたのはたったの一年。しかもその子の家族も誰もクリスチャンではないそうです。
僕は自分の友達をそのように信仰に導いた経験はないし、毎日電話やテキストをして話を聞いたり、聖書を読もうと誘ったこともありません。この夏から神学校でMaster of Theologyの勉強を始め、卒業後は日本で教会開拓をしようとしているのに、その人間が今まで誰一人として「羊を導き、牧した」経験が無いことを恥じると同時に、まさに「恐れ」からそのようなアクションを起こすことができずにいた自分に、その時気付きました。この1年ほど、ダラスにいる日本人留学生をターゲットにした学生伝道ミニストリーをしたいという気持ちを抱きながら、「コロナだし…」「来年にも日本に帰るかもしれないし…」と、結局何もしなかった自分を非常に情けなく感じました。恐れに囚われ、言い訳をして逃げてきた自分。人生をかけてしたいと思っているまさにそのことを行うのに失敗してきた自分。そんな自分の姿を思い知らされ、悔い改めに導かれました。
人を救うのは人ではなくイエス・キリストである。「力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と主が言われるのなら、こんな自分を通しても、神さまは僕の大切な友人や親戚、そしてこれから出会う日本人学生たちを、救うことがおできになる。WITに参加した仲間の証を聞きながら、ロスを離れる直前に、そのように励まされました。
この夏から、ダラスで日本人留学生のための学生ミニストリーを始めます。まずは学生たちの情報を集めてコネクトする、まさにゼロからのスタートです。その中で、主が種を与え、水を与え、実りを与えてくださると信じます。祈りとともに、ノンクリスチャンを含めた学生の情報提供等のサポートをいただければ幸いです!